東京都出身の昭和~平成時代に活躍した日本の彫刻家です。
ブロンズを用いた作品が多く、写実的に捉えた人物や動物、そして胸像を得意としています。
レリーフやアクセサリーなどの量産型の作品もいくつか見られ、90歳を超えても精力的に美術活動を行っていました。
東京美術学校彫刻科に入学した西常雄は、東京美術学校在学中に帝展で入選を果たしており、早熟した才能を見せていました。
しかし、時代は戦争という波が押し寄せ、西常雄も騎兵第15連隊に入隊し、召集を受け、蒙古、中国で戦闘を重ねる事となりました。
戦後になると彫刻家としての活動を再開させ、彫刻家にとって名誉ある賞の中原悌二郎賞を受賞しています。
自らの制作活動を行う一方で、武蔵野美術大学、東京造形大学などで教官を、多摩美術大学では教授をつとめ、後進の指導にもあたっています。
西常雄の作品は多摩美術大学美術館、いわき市立美術館、北のアルプ美術館に所蔵されていますが、中でも北のアルプ美術館では常設展示室が設けられており、西常雄の作品をいつでも見る事ができます。
そんな西常雄ですが、日本が戦争を永久に放棄し戦力を保持しないと定めた第9条を含む日本国憲法の改訂を阻止するために、日本の護憲派の作家ら9人で結成された会「九条の会」の発足を受けて結成された「九条の会アピールを広げる美術の会」(通称・九条美術の会)の発起人として活躍を見せています。
「九条の会アピールを広げる美術の会」は美術を通じて「戦争をする国」に逆戻りさせない運動を広げていきたいと考える団体で、西常雄以外にも画家の大野五郎、野見山暁治など、彫刻家の佐藤忠良、工芸家の岡部昭、評論家の水尾比呂志などが発起人として参加しました。