バロック時代に活躍したイタリアの彫刻家、建築家で、イタリアの有名な観光地には彼の作品をたくさん見る事ができ、その中でも有名なのが「サン・ピエトロ広場」で、この他にもバルベリーニ広場の「トリトーネの噴水」、パトロンの紋章をデザインした「蜂の噴水」などがあります。
また、ベルニーニが直接手掛けたものではありませんが、「トレヴィの泉」の宮殿の壁を利用した大胆なデザインはベルニーニの構想によるものです。
ベルニーニは生涯8人のローマ教皇に仕え、彫刻、建築、イベントと数多くの仕事を任されており、「ベルニーニはローマのために生まれ、ローマはベルニーニのためにつくられた」と賞賛されるほどでした。
そんなベルニーニですが彫刻家ピエトロ・ベルニーニの子としてナポリで生まれました。
父は幼いベルニーニを仕事場へ連れて行き、彫刻に対しての技術や知識、美的感覚を教えていきました。
そんな中、教皇パウロス5世のもとで仕事をしていた時、ベルニーニの才能に教皇パウロス5世は目を付け、幼いベルニーニを館に招いて芸術に触れさせ、ヴァチカンにも自由に出入りさせてミケランジェロなど最高の作品を見る機会を与えました。
この経験がのちにベルニーニを彫刻家として大きく成長させる糧となり、初期の頃の作品はヘレニズム時代の彫刻に影響を受けたものを制作するようになり、古びた大理石の質感まで見事に表現するレベルにまで達し、学者たちでもそれがヘレニズム時代の作品と勘違いしてしまう程でした。
こうしてベルニーニは教皇パウロス5世の寵愛を受け教皇庁の仕事に携わっていましたが、次の教皇インノケンティウス10世の時代になると強い嫉妬を受け、重要な仕事は任されなくなるようになります。
そんな矢先、設計を担当したサン・ピエトロ大聖堂の鐘塔から大きな亀裂が見つかった事で「見かけばかりで実用をなさないベルニーニ」と批判を受けてしまいます。
しかし、ベルニーニは自らの力量を示すために「四大河の噴水」「聖テレジアの法悦」に全精力を注ぎ完成させ、教皇インノケンティウス10世を納得させる事に成功し、人々はベルニーニの作品を「芸術の奇跡」と絶賛し、古代遺跡が残る古き都ローマはベルニーニの手によって壮大なスケールと絢爛豪華な装飾にあふれる美の都へと変貌を遂げ、その姿は現在も多くの人々の心を捉えています。