【砂澤ビッキ】彫刻の買取作家・取扱い一覧

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砂澤ビッキ

砂澤ビッキ
砂澤ビッキ(1931~1989)
北海道出身の昭和~平成時代に活躍した日本の彫刻家です。
木彫専門の彫刻家として知られ、大胆にして繊細、そして原始的にしてモダンな独自の作風を確立し、「ビッキ文様」と呼ばれ現在も高い人気を得ています。
砂澤ビッキはアイヌ人の血を引いており、その事から「アイヌの芸術家」と呼ばれる事もありましたが、砂澤ビッキ自身はそういう枠にはめられる事を嫌い、自由気ままに制作を行っていました。
 
両親ともにアイヌ人という家に生まれた砂澤ビッキは、戸籍上は「恒雄(ひさお)」といいます。
「ビッキ」は幼い頃らの愛称で、アイヌの言葉で「蛙」というような意味を持つそうです。
北海道立農業講習所を終了してから父親が開拓した地で農業を始めた砂澤ビッキですが、やがて阿寒湖で土産物の木彫りを行うようになり、鎌倉へ移住した事から、阿寒湖と鎌倉を往復する生活が始まりました。
鎌倉では独学で絵画を学び、モダンアート協会や読売アンデパンダン展に出品するなど、絵画を中心に制作活動を行っていました。
その時に澁澤龍彦らと交友を深めており、作品は抽象的でシュルレアリスム的な作品が多く制作されていました。
 
彫刻家に転向すると北海道へ戻り、旭川にアトリエを構え活動を続けますが、後に音威子府(おいねっぷ)村の小学校跡にアトリエを構え、「アトリエ3モア」と名付けます。
砂澤ビッキはこの音威子府で亡くなるまでの10年間を過ごしており、残されたアトリエは記念館として保存され、当時のアトリエの様子をそのままに砂澤ビッキの作品も展示されています。
また、入口には10年間で制作された1000を越える作品のタイトルが刻まれており、どれも面白いタイトルが多いのも砂澤ビッキ作品の特徴です。
 
そんな砂澤ビッキの作品は、見る人に「触ってもらいたい」「動かしてもらいたい」「参加してもらいたい」という気持ちが込められており、個展を行った際は実際に触る事の出来る作品が多かったそうで、生命力あふれる作品は多くの人々を感動させてきました。
砂澤ビッキの作品はアクセサリーのような小さなものから、モニュメントのような大きなものまで手掛けていました。
その中でも旭川にある居酒屋「いころ亭」は、砂澤ビッキが店全体をレイアウトし、初期の頃の作品が置かれるなど、店全体が砂澤ビッキの作品となっている事で知られています。

砂澤ビッキ年表


1931年 北海道で生まれる
1947年 北海道立農業講習所に入学する
1948年 北海道立農業講習所を終了し、農業に従事する
1953年 土産物の木彫を始める
鎌倉に移住する
1955年 モダンアート協会展で初入選となる
1958年 モダンアート協会の彫刻部で新人賞を受賞する
1960年 集団現代彫刻展に出品する
1967年 札幌に移住する
1968年 アトリエを構える
1976年 アーティストユニオンシンポジウム`76に出品する
1978年 北海道現代美術展に出品する
1979年 個展を開催する
1983年 カナダのIMAGES OF BRITISH COLUMBIA展に出品する
1989年 逝去

1931年 北海道で生まれる

1947年 北海道立農業講習所に入学する

1948年 北海道立農業講習所を終了し、農業に従事する

1953年 土産物の木彫を始める

00000年鎌倉に移住する

1955年 モダンアート協会展で初入選となる

1958年 モダンアート協会の彫刻部で新人賞を受賞する

1960年 集団現代彫刻展に出品する

1967年 札幌に移住する

1968年 アトリエを構える

1976年 アーティストユニオンシンポジウム`76に出品する

1978年 北海道現代美術展に出品する

1979年 個展を開催する

1983年 カナダのIMAGES OF BRITISH COLUMBIA展に出品する

1989年 逝去


砂澤ビッキ代表作


『オトイネップタワー』
『トゥ(TOH)』
『木面』
『トンボ』

『オトイネップタワー』

『トゥ(TOH)』

『木面』

『トンボ』


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