【建畠覚造】彫刻の買取作家・取扱い一覧

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建畠覚造

建畠覚造
建畠覚造(1919~2006)
東京出身の日本の彫刻家。
ブロンズのみならず鉄、アルミ、プラスチック、アクリル、セメントなどあらゆる素材を取り入れ、純粋で端正でありながらユーモアもある作品を作った。
父親は彫刻家の建畠大夢。息子は詩人・美術評論家の建畠哲。

彼は彫刻を構成する実体とそれをとりかこむ何もない空間との関係に関心を持ち、アカデミックな具象彫刻から前衛的な抽象彫刻へ移行していった。イギリスの抽象彫刻家ヘンリー・ムーアの胴に穴の開いた彫刻などの影響を受け、1950年には、彼の所属していた行動美術協会に彫刻部を結成した。
1953年から1955年までフランスに留学、サロン・ド・メなど多くの展覧会に参加。帰国して金属などを組み合わせた幾何学的な造形を行い、1950年代の日本の抽象彫刻のパイオニアの一人として活躍した。
彼は情緒的な制作態度や惰性を排除し、明確で論理的な思考による彫刻を作ろうとした。彼は、一方では彫刻の構造を純粋・厳密な状態にまで推し進め、無駄をそぎ落とした無機な形態をつくり、そこから造形の可能性を見ようとした。その一方で、そうした純粋な造形を超え、自分の人間像・生活・幻想など有機的ものを彫刻に定着させようとした。彼は理論と理屈を推し進めた無機的な造形と、自分の実感から来る生活感など有機的なものを彫刻の上で統合しようとしていた。

また、第二次世界大戦修了間もない混乱期の昭和26年、(株)永徳斎マネキンに原型作家として入社。それ以来、マネキン原型作家としても活躍していた。

建畠覚造年表

1919年 彫刻家建畠大夢の長男として東京に生まれる。

1937年 東京美術学校彫刻科に入学。

1941年 第4回文展で「黙」が特選受賞。東京美術学校を卒業。

1944年 在仏印日本文化会館員として、サイゴン(現在のホーチミン市)に赴任。

1946年 ベトナムから帰国。

1950年 行動美術協会彫刻部新設に参加。

1953年 渡仏し、55年3月に帰国。

1955年 「今日の新人・1955年展」(神奈川県立近代美術館)に出品。

1962年 多摩美術大学彫刻科助教授に就任(66年から教授)。

1967年 第10回高村光太郎賞を「壁体」で受賞。

1978年 建畠覚造展開催(神奈川県民ギャラリー)。

1981年 第12回中原悌二郎賞を「CLOUD 4(大)」で受賞。

1982年 建畠覚造展開催(和歌山県立近代美術館)。

1983年 ヘンリー・ムーア大賞展優秀賞受賞。

1986年 武蔵野美術大学客員教授となる。

1990年 芸術選奨文部大臣賞受賞。

1992年 建畠覚造と戦後日本の彫刻展開催(和歌山県立近代美術館)。

2005年 文化功労者に選ばれる。

2006年 2月16日、心不全のため死去、享年86。

建畠覚造代表作

『CLOUD』

『核』

『展開』

『GO GO』

『DISK』

『WAVING FIGURE』

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