ドイツ出身の現代芸術家として知られ、彫刻家、教育者、社会活動家としての顔も持っている事でも有名な作家です。
初期の芸術運動フルクサスに関わり、パフォーマンスアートの数々を演じ、名を馳せた他、彫刻、インスタレーション、ドローイングなどの作品も数多く残しており、脂肪や蜜蝋、フェルト、銅、鉄、玄武岩など独特な素材を使った立体作品を制作しています。
その活動は「社会彫刻」とい概念を生み出し、「教育」や「社会変革」といった要素を取り入れた作品を発表する事で、藝術と社会を関係させる思想として、これまでに多くの影響を美術家や建築家たちに与えています。
また、自由国際大学を開設し、「緑の党」を結成するなど社会活動や政治活動を行った事でドイツ国内では賛否両論を受けている作家としても知られています。
そんなヨーゼフ・ボイスですが、子供時代は動物や植物などの自然に興味を持ち、鹿、兎、家畜の羊の群れと接しながら過ごしていました。
また、チンギス・ハンの伝説やクレーヴェ伯代々の白鳥崇拝の残るシュヴァーネンブルク(白鳥城)や当地の白鳥の伝説に影響を受けており、これらに登場する伝説上の動物たちは後の作品のモチーフとして登場しています。
この他にもナチズムの思想に合わないとされた書物であるとして焚書となっていた彫刻家ヴィルヘルム・レームブルックの作品図版に強い衝撃を受けたヨーゼフ・ボイスは生涯に渡ってヴィルヘルム・レームブルックを尊敬し、彫刻の可能性に興味を持つようになります。
そんな矢先、第二次世界大戦が勃発し、ヨーゼフ・ボイスはドイツ空軍に志願し、積極的に戦地に赴きます。
死の淵を経験しながらも勇敢に戦っており、鉄十字章や戦傷章金章を含むさまざまな勲章を受けましたが、頭に重傷を負った事で復員しました。
その後は傷を癒しながらシュタイナーの人智学を研究し、水彩画やドローイングを描き始め、地元の画家に学ぶようになります。
こうして芸術家としての道を歩み始めたヨーゼフ・ボイスはデュッセルドルフ芸術アカデミーの彫刻科教授となり、この講座で様々なパフォーマンスを開始します。
自分のクラスに入りたい者は全て受け入れていたため、当時のアカデミー当局と衝突し、教授職を解雇されてしまいます。
この事に納得できなかったヨーゼフ・ボイスと彼を支持する学生たちと共に訴訟を起こし、教授に戻る事はできませんでしたが、教室をそのまま使用する事は許可され、そこに自由国際大学を開設しました。
また、ここから巣立った学生の中には注目すべき美術家が多数輩出されており、ゲルハルト・リヒター、ジグマー・ポルケ、アンゼルム・キーファーら、ドイツ美術を支えるに至った画家たちがいます。
こうしてヨーゼフ・ボイスは芸術を通して社会活動に参加し、ニューヨーク市のグッゲンハイム美術館で大規模回顧展が開催された事によってその名声は高まり、ヨーゼフ・ボイスが亡くなった現在でも彼の思想は多くの芸術家、美術家たちに影響を与え続けています。