山本豊市の作品を買取ります
山本豊市は東京都出身の大正~昭和時代に活躍した日本の彫刻家です。
日本の伝統的素材である漆を西洋的な造形に生かした乾漆彫刻の作品は、日本古来の素材を近代彫刻の中に蘇らせたものとして高く評価された彫刻家として知られています。
東京藝術大学、愛知芸術大学の教授をつとめ後進の指導にもあたっています。
彫刻家を目指して中学を卒業すると戸張孤雁に師事し、彫刻の技術を磨き、太平洋画会研究所でも学びました。
戸張孤雁は創作版画の草分け的存在で、荻原守衛と知り合ったことを機に彫刻をはじめた人物で、フランスに渡り西洋美術を勉強しており、オーギュスト・ロダンの影響が濃い作風で知られています。
そのため、山本豊市の作品も躍動感のある作品が多く、院展で初入選を果たすと院友に推挙されました。
その後、フランスへ渡り、アリスティド・マイヨールに師事しており、これは日本人として唯一の直弟子で、マイヨールのもとで約4年間修行に励みました。
フランスから帰国すると、京都や奈良を旅行して仏像に触れた事で日本古来の乾漆彫刻を研究し、乾漆による独自の作風を生み出しました。
ちなみにこの頃は石膏などの材料不足もあった事も乾漆彫刻を手掛けるきっかけになったようです。
戦後は院展に出品する一方で新樹会に参加し、官展系とは違った作風を見せ、国内外の展覧会で受賞を重ねていきました。
日本美術院彫刻部が解散となると新たに結成された彫刻家集団SASに参加し、国画会と合同してからは国画会会員として活躍を続けました。
1899年 東京都で生まれる
1917年 戸張孤雁に師事する
1923年 日本美術院院友に推挙される
1924年 フランスへ留学する
1925年 アリスティド・マイヨールのアトリエを訪ね、師事する
1929年 シベリア経由で清水多嘉示と帰国する
1950年 新樹会参加する
1951年 第1回サンパウロ・ビエンナーレに出品する
1953年 東京藝術大学教授となる
第5回毎日美術賞を受賞する
1955年 ブリヂストン美術館で第1回個展を開催する
1956年 第28回ヴェネツィア・ビエンナーレに出品する
1957年 ブリヂストン美術館で第2回個展を開催する
1960年 大船観音修復制作が完成する
1961年 日本美術院彫塑部解散し、彫刻集団SASが結成され参加する
1963年 彫刻集団SASが国画会と合同し、国画会会員となる
1966年 山本豊市彫刻回顧展を開催する
1967年 愛知県立芸術大学教授となる
1968年 東京藝術大学名誉教授となる
1970年 彫刻50年‐山本豊市作品展を開催する
1972年 勲三等瑞宝章を受章する
1983年 文化功労者となる
1987年 逝去
1899年 東京都で生まれる
1917年 戸張孤雁に師事する
1923年 日本美術院院友に推挙される
1924年 フランスへ留学する
1925年 アリスティド・マイヨールのアトリエを訪ね、師事する
1929年 シベリア経由で清水多嘉示と帰国する
1950年 新樹会参加する
1951年 第1回サンパウロ・ビエンナーレに出品する
1953年 東京藝術大学教授となる
00000年第5回毎日美術賞を受賞する
1955年 ブリヂストン美術館で第1回個展を開催する
1956年 第28回ヴェネツィア・ビエンナーレに出品する
1957年 ブリヂストン美術館で第2回個展を開催する
1960年 大船観音修復制作が完成する
1961年 日本美術院彫塑部解散し、彫刻集団SASが結成され参加する
1963年 彫刻集団SASが国画会と合同し、国画会会員となる
1966年 山本豊市彫刻回顧展を開催する
1967年 愛知県立芸術大学教授となる
1968年 東京藝術大学名誉教授となる
1970年 彫刻50年‐山本豊市作品展を開催する
1972年 勲三等瑞宝章を受章する
1983年 文化功労者となる
1987年 逝去