佐賀県出身の陶芸家で、今泉家は肥前有田の伝統ある陶家として知られ、江戸初期以来の鍋島藩窯の流れを汲んでいます。
12代・今泉今右衛門は11代の長男として生まれ、本名を平兵衛といい、11代が亡くなると12代・今泉今右衛門を襲名しました。
古陶磁の目利きでは右に出る者はいないとまでいわれる程の熱心な研究家としても知られ、色鍋島の復活と保存に尽力しており、色鍋島などの蒐集品を展示する「今右衛門古陶磁参考館」を設立した事でも知られています。
11代から受け継がれた伝統や古典美を重んじながらも、職人気質の妥協を許さない姿勢で独自の格調高い革新的な作風が特徴です。
「色鍋島」が無形文化財の指定を受けると、色鍋島技術保存会を結成し、重要無形文化財の保持団体として指定を受けるなど、今後の今泉家に大きな影響を与えた人物でもあり、この伝統技法保存の試みは以後の今泉今右衛門にも受け継がれていきました。
このように今泉家にとっても色鍋島にとっても重要な役割を果たした12代・今泉今右衛門ですが、敗戦の混乱の中でも高級陶磁器が売れるような時代ではなく、自らが営業に奔走する事もしばしばあったようで、苦労を重ね、乗り越えてきたようです。
また、作家としては日本伝統工芸展が新たに発足すると招待出品となり、毎年出品を重ね、紫綬褒章、国指定重要向き文化財(人間国宝)、勲四等旭日小綬章を受けています。
この事からも近代今右衛門の中では最も名工であったとされています。
1897年 佐賀県で生まれる
1916年 佐賀県立有田工業学校を卒業後、家業に従事する
1940年 商工省より工芸技術保存作家の指定を受ける
1948年 12代・今泉今右衛門を襲名する
1952年 「色鍋島」の技術が文化財保護委員会より無形文化財の選定を受ける
1955年 日本工芸会正会員となる
文化財保護委員会より、記録作成等の措置を構ずべき無形文化財として選択を受ける
1957年 日本伝統工芸展の出品作品が政府に買い上げられ、インドのネール首相に贈呈される
1958年 ブリュッセル万国博覧会でグランプリを受賞する
1963年 紺綬褒章を受章する
1965年 「色鍋島卯木文大皿」が文化財保護委員会に買い上げとなる
1966年 佐賀県文化功労者として表彰を受ける
1967年 紫綬褒章を受章する
1968年 色鍋島などの蒐集品を展示する「今右衛門古陶磁参考館」を設立する
1970年 色鍋島の伝統的技術を保存する為、「色鍋島技術保存会」を結成する
1971年 色鍋島技術保存会が国の重要無形文化財総合指定に認定される
1972年 勲四等旭日小綬章を受章する
1975年 昭和天皇・皇后両陛下が御訪米の際、フォード大統領への御土産として
「色絵草花更紗文花瓶」が宮内庁となる従五位を受ける
77歳で逝去
1897年 佐賀県で生まれる
1916年 佐賀県立有田工業学校を卒業後、家業に従事する
1940年 商工省より工芸技術保存作家の指定を受ける
1948年 12代・今泉今右衛門を襲名する
1952年 「色鍋島」の技術が文化財保護委員会より無形文化財の選定を受ける
1955年 日本工芸会正会員となる
00000年文化財保護委員会より、記録作成等の措置を構ずべき無形文化財として選択を受ける
1957年 日本伝統工芸展の出品作品が政府に買い上げられ、インドのネール首相に贈呈される
1958年 ブリュッセル万国博覧会でグランプリを受賞する
1963年 紺綬褒章を受章する
1965年 「色鍋島卯木文大皿」が文化財保護委員会に買い上げとなる
1966年 佐賀県文化功労者として表彰を受ける
1967年 紫綬褒章を受章する
1968年 色鍋島などの蒐集品を展示する「今右衛門古陶磁参考館」を設立する
1970年 色鍋島の伝統的技術を保存する為、「色鍋島技術保存会」を結成する
1971年 色鍋島技術保存会が国の重要無形文化財総合指定に認定される
1972年 勲四等旭日小綬章を受章する
1975年 昭和天皇・皇后両陛下が御訪米の際、フォード大統領への御土産として
00000年「色絵草花更紗文花瓶」が宮内庁となる従五位を受ける
00000年77歳で逝去