滋賀県出身の陶芸家です。
旧近江膳所藩家老の四男として生まれましたが、人柄と技法を見込まれ、初代・伊東陶山の娘・ふじと結婚し、婿養子として伊東家に入ります。
伊東陶山は京都・五条坂の陶工の名で3代続きました。
初代が粟田焼の振興に尽力し、粟田陶磁器組合長をつとめ、粟田焼の技法と改良、そして輸出面に貢献するなど、数々の功績を残し、京都粟田白川畔に「陶山」を開窯した事でその名が受け継がれるようになりました。
2代・伊東陶山は本名を信助と言い、陶芸家になる前は日本画を学んでいました。
初代・陶山に作陶技術を学び、優雅で高格な作風を受け継いでいます。
また、日本画を学んでいた経験を作陶にいかしており、素晴らしい絵付けの作品が多く、動物を模った作品は今にも動き出しそうなほどリアルに作られています。
帝展や日展に出品しており、帝展では審査員をつとめています。
また、初代と共に膳所陽炎園(ぜぜかげろうえん)の復興に尽力しており、息子が3代目を継いでいますが、現在はその名が途絶えてしまっています。