大正~昭和時代に活躍した佐賀県出身の陶芸家で、有田焼を代表する大型の白磁成形を行うろくろ師としても有名です。
生涯、蹴りろくろしか使用しなかったというこだわりを持っており、弟子にろくろを回してもらう際、少しでもタイミングがズレると、厳しい言葉と手が出ていたそうです。
焼物の町、有田で生まれ育った初代・忠右衛門は高等小学校を卒業するとろくろ成形が有田の歴史史上で天才と言われた井出金作に弟子入りします。
そして、県立有田工業学校に勤務しながら巧みなろくろ技術を手に入れた初代・忠右衛門は、戦後になると有田で自分の窯を築きます。
その後、日展に入選を重ね、のちの伝統工芸展となる展覧会で最高賞を受けるなどした結果、国の選択無形文化財保持者となりました。
この国の選択無形文化財保持者は現在の重要無形文化財保持者と同じ意味合いを持っており、重要無形文化財保持者と同じ役割を持っています。
現在、奥川忠右衛門の名は、自身の息子が2代目として継いでおり、奥川忠右衛門の技術に惚れ込んで養子となった奥川俊右衛門も初代・忠右衛門から教わっています。
また、「万物にはすべて法がある。当然、焼き物の世界にもその法がある。それに反したやり方はいずれ淘汰される。法を守りながら自分なりの作品を作り出す。それが自分に課せられた使命」と型っており、実に多くの作品を残しています。