奥村吉兵衛とは初代が表具屋業として屋号「近江屋吉兵衛」を開業し、その当主が代々受け継ぐ名前で当代は12代となっております。
千家十職の一人で三千家御用達の表具師として家元らの揮毫の軸装、風呂先屏風、釜の敷物の一種である「紙釜敷」の制作を行っています。
奥村家は佐々木氏の末裔を称し、近江国北部の「谷の庄」なるところの郷士であったとされています。
姉川の戦いの後、主家・浅井氏が滅亡して浪人となった奥村三郎定道の次男・吉右衛門清定が母方の稼業を継いで商人となって京で表具屋となった事からその歴史が始まりました。
その後、2代・吉兵衛は表千家6代・覚々斎の取りなしにより紀州徳川家御用達となり、家運興隆の基礎を作りました。
8代・吉兵衛は歴代の中でも最も名手といわれ、国学、儒学に通じ、尊皇攘夷派の学者や志士と深く交わりを持った人物でもありました。
しかし、明治維新後の文明開化によって茶道が衰退してしまい、奥村家の存続の危機を迎えます。
そんな中、9代・吉兵衛は奥村家の建て直しに成功し、今の奥村家があるもの、9代の活躍のおかげなのです。
奥村吉兵衛は表具師ですのであまり目立たない存在ではありますが、大切な茶の湯の景色の裏方を担っており、現在も茶の湯には欠かせない紙の茶道具の制作を行っています。