富山県で金工を生業としている一ノ瀬家の当主が代々受け継ぐ名前で、1875年に初代が鋳銅職として創業してから現在まで続いています。
当代は4代となっており、富山県作家協会会員、高岡市美術作家連盟会員、高岡市美術友の会理事をつとめています。
これまでの代々の一ノ瀬宗辰は、様々な功績を残しており、2代目の宗右衛門は滋賀県能登川町の「亀文堂」の波多野正平(現・京都の秦蔵六の本家)の隠れ職人をつとめていました。
明治~昭和初期まで漢銅器の研究を続け、花器、茶器、香炉などの制作を行っています。
日英同盟博覧会では最高賞の金賞を受賞し、その他の展覧会でも特賞や対象を受賞するなど一ノ瀬宗辰の中でも名工として高く評価されており、高岡銅器振興のために後進の指導にも尽力していました。
その意志を継いだ3代目辰男は本格的に茶道を習い、京銅器、茶器、花器に優れた作品を見せ文部大臣賞を受賞しています。
4代目となる新太郎はこれまでの一ノ瀬宗辰の秘技を受け継ぎ、古美術、茶道具の収集を行い、これらをもとに研究を重ね制作に応用し、伝統と現代的感覚を融合させた一ノ瀬宗辰の名に恥じない作品作りを心掛けています。