岐阜県で生まれた陶芸家です。
父親は昭和を代表する美濃の陶芸家・荒川豊蔵で、「荒川志野」と呼ばれる独自の志野を生み出した事で知られています。
そんな父親のもとで育った荒川武夫は父親の影響を強く受け、育ちました。
建築家になりたいと思っていた荒川武夫でしたが、父親の仕事の手伝いをしていくうちに、父親の陶芸に対する熱い思いに惹かれ、陶芸家になる事を決意しました。
父親と共に多治見の大萱古窯跡近くに穴窯を築き作陶を始めると、その約10年後には登窯を築いて「水月窯」としてここを活動の拠点とします。
この「水月窯」という名は永保寺老師・嶋田菊僊によって命名されたもので、弟・達と共に作陶に励みました。
父親から学んだ美濃焼の伝統技法をベースとして、染付、粉引、赤絵などを手掛け、日用的な食器、酒器を中心に窯作品として作陶を続けており、これらの作品は高級料亭でも使用されている事で、荒川武夫の名と存在感を高めました。
また、窯作品の他にも茶陶を中心とした個人作品も手掛けており、土作りから絵付け、焼成に至るまでの全ての工程を一切機械を使わずに手作業で行っています。
荒川武夫のこだわりは作陶方法だけではなく、焼成方法にもこだわりを持っており、ガス窯や電気窯が大半を占める現代陶芸において、伝統的な登窯を使用しています。
伝統的な美濃焼の生産方法を守りながらも、草花を主なモチーフとして、古雅な造形と現代的感覚、遊び心と厳格性が絶妙に融合した味わい深い作風で、父親の名声に負ける事なく、独自の人気を築き上げました。