京都府出身の女性の陶芸家で、千家十職の一つ、土風炉師・焼物師である永楽善五郎の14代・得全の妻として永楽家を支えてきた人物として知られています。
永楽家は初代から9代までは西村姓を名乗っており、10代以降から永楽姓を名乗るようになりました。
代々、土風炉、茶碗などを制作し、一時は家の存続が危ぶまれましたが、三千家の援助もあり、再興し、現在は17代まで続いています。
ここまで永楽家が続いているのは、妙全の夫・得全が急逝し、妙全が甥・山本治三郎が15代を受け継ぐまで、妙全が女手一つで必死に永楽家を守ったからだといわれています。
そんな妙全ですが、名を悠といい、「お悠さん」と呼ばれて親しまれていました。
永楽善五郎を襲名するほどの腕前を持っていましたが、当時の風潮なのか永楽善五郎の襲名はありませんでしたが、表千家12代惺斎宗左にその作風が気に入られており、数多くの作品が残されています。
三井家第10代当主・三井高棟に「妙全」を拝領していますが、作品には「得全」の印と箱書きには「悠」の朱印を使用しており、色鮮やかな「交趾」の技法で女性らし優雅・優美な作品を見る事ができます。
永楽善五郎を襲名しなかったせいか、自由な発想で独特の世界観を持つ作品は今でも高い評価を受けており、他の永楽善五郎の作品と比べるとその違いははっきりと分かります。