1888年 京都府で生まれる
1902年 京都市立美術工芸学校絵画科に入学する
1905年 京都市立陶磁器試験場に転入する
1907年 世界第博覧会美術部で大賞金杯を受賞する
1910年 旧幹山伝七窯の東接に大型素焼き窯を築窯する
1913年 中国の色釉の研究や再現に挑む
1919年 辰砂、鈞窯、青磁、天目を手掛けて焔彩や水青磁を開発する
1929年 東京国立博物館に作品を収める
1942年 商工省より焔彩の技法で新興技術保存の指定を受ける
三男・仁平に「仁松」名を譲って、「宗甕」と号すようになる
1943年 京都陶磁器地術保存組合理事長に就任する
1948年 京都府工芸美術展審査員、京都家庭裁判所調停委員に就任する
1951年 現代日本陶芸展の出品作品がセーブル博物館に収蔵される
1952年 助成の措置を構ずべき無形文化財「辰砂」として選択を受ける
1954年 作品が文化財保護委員会に収蔵される
1955年 日本工芸会正会員となる
1957年 記録作成等の措置を構ずべき無形文化財「青磁・辰砂」として選択を受ける
1958年 作品がアメリカ・ボストン美術館と文化財保護委員会に収蔵される
1960年 モスクワ開催の陶芸展で銀賞を受賞する
1966年 作品がアメリカ・ボストン美術館に収蔵される
1967年 勲四等瑞宝章を受章する
1972年 美術功労賞を受賞する
1973年 85歳で逝去
1888年 京都府で生まれる
1902年 京都市立美術工芸学校絵画科に入学する
1905年 京都市立陶磁器試験場に転入する
1907年 世界第博覧会美術部で大賞金杯を受賞する
1910年 旧幹山伝七窯の東接に大型素焼き窯を築窯する
1913年 中国の色釉の研究や再現に挑む
1919年 辰砂、鈞窯、青磁、天目を手掛けて焔彩や水青磁を開発する
1929年 東京国立博物館に作品を収める
1942年 商工省より焔彩の技法で新興技術保存の指定を受ける
三男・仁平に「仁松」名を譲って、「宗甕」と号すようになる
1943年 京都陶磁器地術保存組合理事長に就任する
1948年 京都府工芸美術展審査員、京都家庭裁判所調停委員に就任する
1951年 現代日本陶芸展の出品作品がセーブル博物館に収蔵される
1952年 助成の措置を構ずべき無形文化財「辰砂」として選択を受ける
1954年 作品が文化財保護委員会に収蔵される
1955年 日本工芸会正会員となる
1957年 記録作成等の措置を構ずべき無形文化財「青磁・辰砂」として選択を受ける
1958年 作品がアメリカ・ボストン美術館と文化財保護委員会に収蔵される
1960年 モスクワ開催の陶芸展で銀賞を受賞する
1966年 作品がアメリカ・ボストン美術館に収蔵される
1967年 勲四等瑞宝章を受章する
1972年 美術功労賞を受賞する
1973年 85歳で逝去1888年 京都府で生まれる
1902年 京都市立美術工芸学校絵画科に入学する
1905年 京都市立陶磁器試験場に転入する
1907年 世界第博覧会美術部で大賞金杯を受賞する
1910年 旧幹山伝七窯の東接に大型素焼き窯を築窯する
1913年 中国の色釉の研究や再現に挑む
1919年 辰砂、鈞窯、青磁、天目を手掛けて焔彩や水青磁を開発する
1929年 東京国立博物館に作品を収める
1942年 商工省より焔彩の技法で新興技術保存の指定を受ける
00000年三男・仁平に「仁松」名を譲って、「宗甕」と号すようになる
1943年 京都陶磁器地術保存組合理事長に就任する
1948年 京都府工芸美術展審査員、京都家庭裁判所調停委員に就任する
1951年 現代日本陶芸展の出品作品がセーブル博物館に収蔵される
1952年 助成の措置を構ずべき無形文化財「辰砂」として選択を受ける
1954年 作品が文化財保護委員会に収蔵される
1955年 日本工芸会正会員となる
1957年 記録作成等の措置を構ずべき無形文化財「青磁・辰砂」として選択を受ける
1958年 作品がアメリカ・ボストン美術館と文化財保護委員会に収蔵される
1960年 モスクワ開催の陶芸展で銀賞を受賞する
1966年 作品がアメリカ・ボストン美術館に収蔵される
1967年 勲四等瑞宝章を受章する
1972年 美術功労賞を受賞する
1973年 85歳で逝去
『青磁鳳凰耳花生』
『鈞青茜映し茶碗』
『鈞窯紫流丸皿』
『青磁桔梗 香合』
『郎窯藍彩葉皿 五客』