幕末~明治時代に活躍した日本の鋳金家で、その名と鋳造技術は現代まで一子相伝で受け継がれており、当代は6代目となっています。
平城京から見て奈良山の後ろにあたる地域の山城国で生まれた初代・秦蔵六は初名を米蔵といいました。
22歳の時に京都に出て鉄瓶製作で有名な龍文堂の門下となり鋳金の技術を学びました。
翌年には独立して中国周漢時代の古銅器について撥蠟法を研究し、蝋型鋳造に秀でた才能を開花させました。
その後、大和地方を巡歴し、古代の作品を鑑賞して和漢の古作品の研究も行いました。
こうした功績が認められ、江戸期には孝明天皇の御印や将軍・徳川慶喜の黄金印、明治に入ってからは天皇御璽(ぎょじ)・大日本国璽(こくじ)の鋳造を手掛けるなど大役を任され、秦蔵六の名を高める事に成功しました。
作品は鉄瓶、茶釜をはじめ、中国古代に作られていた3足の酒器である爵も多く手掛け、ところどころに金箔を張った作品が見られ、これは時間経過と共に金箔が剥がれている様を表している秦蔵六独特の意匠として高く評価されています。