細川護熙は東京都千代田区に生まれ、第79代内閣総理大臣をつとめていた事もある陶芸家で、楽焼、織部焼、瀬戸焼、唐津焼、信楽焼など幅広い作域をもちます。
また襖絵などにも携わるなど文化的な才能、人脈に恵まれた人物で旧熊本藩主細川家の第18代でもあります。
細川護熙は戦国大名の細川忠興の子孫で、旧熊本藩細川家第17代当主と3度にわたり内閣総理大臣に指名された近衛文麿の娘との間に長男として誕生しました。
学習院高等科を卒業後は京都大学受験に失敗しますが上智大学法学部に入学し、卒業後は朝日新聞に入社します。
入社後は鹿児島県警察記者室を経て本社社会部記者となり、ライフル銃を乱射し、静岡県の旅館で人質を取って立てこもった最初の劇場型犯罪といわれている近嬉老事件を担当するなど活躍しました。
後に田中角栄などの有力者と出会い、政界進出を果たすと新党結成するなど尽力し内閣総理大臣にまで上りつめます。
政界引退後は陶芸の世界に入り、桃山、高麗、李朝で表現したいという思いから、弟子をとらないことで知られ、自然との共存で生まれる美を追及する世界的に有名な辻村史郎に師事し、朝から晩まで轆轤を回していたそうです。
土にこだわらない辻村史郎とは対照的に織部、信楽、唐津、高麗などそれぞれの焼物の産地の土で作るこだわりを持ち、神奈川県の湯河原に不東庵という茶室を兼ねる工房で作陶に励んでいます。
この不東庵という工房の名前は二度と東(政界)には戻らないという意味が込められているそうです。
細川護熙の作品は個展を開くと完売するほど人気で、茶碗の値段が黒なら100万円でそれ以外の作品でも50万円~70万円するなど良いお値段となっており、師匠の辻村史郎より高値で取引される作品も多くございます。
お茶の世界では誰でも知っている細川護熙の茶碗は話題にしやすく、お茶の席が楽しくなるとの事で人気があるそうです。
また作品は不思議な魅力があるといわれ、フラッと来た外国人夫婦が細川護熙の茶碗を買っていったというエピソードもあります。
現在では陶芸の他にも書画にも携わり、襖絵師としても活躍しています。
下手の横好きではなく大学教授も相当なレベルだと太鼓判を押すほどで、実績も京都最古の禅寺の建仁寺の春夏秋冬の制作や東大寺からも依頼が来るほどです。
また元総理の小泉純一郎と脱原発で共闘するなど、社会問題についても精力的に活動しています。