早川尚古斎は、江戸時代末期から一子相伝で竹工芸技法を伝えてきた早川家の当主が代々襲名する名称で、5代続いています。
その工房は京都市北区にある下鴨神社近くにあり、高い竹工芸技術が伝わってきました。
「竹割10年」と言われるほど、良い竹ひご(材料)を準備する作業はとても難しく、地下の倉庫に保管してある竹材の表皮や節を削り取り、鉈(なた)を使って縦方向に割って1本1本手作業で竹ひごを制作します。
この時に竹ひごの厚みが揃うと曲げた時に綺麗な円になり、早川家ではこの技術もしっかりと受け継いできました。
そんな早川家が竹工芸家として活躍するようになったのは、初代が京都の籠師のところで修行を積み、大阪に移って「尚古斎」と号して唐物の写しを中心に独自の創作性を取り入れ、「浪華の籠師」と称されるようになった事から始まりました。
2代については詳しい事は分かっていませんが、3代は、「尚斎」の号で東京で活動し、実の兄である2代が亡くなった事を機に大阪へ戻り、3代を襲名し、荒竹編を駆使した自由奔放な作風に高い人気を得ました。
こうして早川家のお家芸ともいえる、そろばん粒形花籃、興福寺形牡丹花籃、鎧組花籃の3つは5代まで受け継がれ、重要無形文化財の認定を受けるまでになりました。
5代はこの他にも精緻な編みや自在な荒編など編組技法を得意としており、素晴らしい竹工芸品を多く残しています。