京都出身の日本の陶芸家で、河合瑞豊は京焼の陶工として代々襲名されている名称ですが、3代の時に途絶えてしまいました。
初代・河合瑞豊は日本人で初めてインド各地の仏蹟各地を巡拝した山崎辨榮がブッダガヤより持ち帰った土と粘土を混じえた釈尊像を数千体焼成したという経歴を持っています。
また、陶芸家・河合栄之助、河合卯之助の父親でもあり、京都の名工として活躍しました。
その後、河合瑞豊の名は2代とその息子・喜太郎に3代目が受け継がれます。
3代・河合瑞豊は京都市立美術工芸学校を卒業し、国立陶磁器試験所で陶芸技術の研究に励みました。
日展での入選が多数あり、特選を受賞する実力を持ち、現代陶芸展では招待出品となり、日展依嘱に推薦されました。
また、現代工芸美術協会会員としても活躍し、茶碗や水指といった茶道具を中心に青磁、三島、伊羅保など様々な手法で多くの作品を残しました。
ちなみに河合瑞豊が手掛ける京焼は京都で焼かれる焼物の総称で、絵付けの作品が中心ですが、青磁や三島以外にも楽焼、清水焼、交趾焼、粟田口焼なども代表的な京焼の焼物として挙げる事ができ、河合瑞豊のように幅広い作域を見せる作家が多いのが特徴です。