亀井又生庵は福岡県出身の昭和~平成時代に活躍した陶芸家で、遠州七窯の1つである高取焼窯元である味楽窯の14代亀井味楽です。
高取焼は黒田如水・長政の親子が朝鮮出兵の際に腕のいい陶工を見つけ、日本に連れて帰り高取山にある古城の麓で開窯したのが高取焼のルーツとされており、以降は御用窯として庇護されていました。
また「綺麗さび」の世界を確立した他、磁器のように薄くて軽いというのが高取焼の特徴でもあります。
亀井又生庵は高取焼を代表する陶窯として広く知られている亀井家に生まれ、祖父である13代・亀井味楽に師事し伝統技法を受け継ぎ、14代を襲名した同年に日本伝統工芸展に初入選を果たしています。
それからも日本伝統工芸展や日本陶芸展などで活躍を続け、福岡市指定無形文化財技術保持者に認定され、福岡県技能功労賞や国際芸術文化賞などを受賞し、14代・亀井味楽を隠居した後は、又生庵と号して70歳を超えても作陶を続けていました。
しかし82歳の時に膵臓がんを患い、惜しまれつつもこの世を去ってしまいました。
亀井又生庵の味楽の頃の作品は、受け継がれてきた技法を忠実に再現し、黄釉と称される伝統の釉薬が施されている装飾性に富んだ作品を得意としていましたが、隠居後の又生庵の時代では200年ほど前に歴史が途切れていたとされている金彩釉の再現に成功し、個展などで発表しています。
また陶印も一つだけではなく、「味楽」「味樂」「高」などがあります。