川崎和楽は江戸時代後期に祇園八坂神社の門前茶屋短冊楼の主である短冊屋七左衛門が趣味で楽焼や雑器の制作を始めたのがルーツとされており、それをもとに2代目七兵衛より大成し、茶屋をたたみ「楽焼の短冊屋」と称し楽焼一筋に取り組みようになったのが始まりです。
当時は、お茶がそれほど盛んではなかったようで、茶碗だけでは需要がなく、万年青鉢を主に作っていたとされており短冊屋の鉢は、高級ブランドとして相当な高値で販売されていたといわれています。
このように川崎和楽では楽焼の抹茶碗だけではなく鉢も作っていた事は楽焼の特徴ともいえる吸水性の高さを活かしたからこそ鉢を作り続けたのではないかと言われています。
川崎和楽という名は、工房を訪ねてきた東郷平八郎元帥海軍大将より直筆で「和楽」の称号を承った後に、茶道に適う(かなう)楽焼の窯元「和楽」として継承されており、現在は7代目和楽の川崎喜蔵と次期8代目当主の川崎基生が更なる楽焼発展のために尽力しています。