木村一郎は栃木県出身の昭和時代に活躍した日本の陶芸家で、地元の陶土と釉薬の技術で知られている益子焼の一時代を築き上げた名匠です。
木村一郎は栃木県の益子町に生まれ、幼い頃から多くの工芸品囲まれて生活していた事からおのずと焼物に興味を持つようになり、22歳の頃に本格的に陶芸を学ぶために京都商工省陶磁器試験所に入所しました。
京都では陶芸家でありながら彫刻や書にデザインなど多くの分野に作品を残し多才な作家としても知られている河井寛次郎の作陶を間近で拝見出来る機会に恵まれ、八木一夫など同期にも恵まれ、後に「走泥社」を結成するなど交流を深めています。
20代半ばの頃に帰郷し、30代に入ると益子町に登り窯を築き、本格的に作家として活動をスタートしています。
木村一郎の作品は、俗にいう益子焼の温もりのある厚手の陶器ではなく、練上・辰砂釉・ガラス釉などこれまでの益子焼にはなかった技法を駆使し斬新な作風を追求しており、悪性骨腫瘍を患い亡くなるまで京都で学んだ技術を惜しげもなく注ぎ、益子の土を釉薬に溶け込ませ、モダンな作品を作り続けました。