千家十職の一つで竹細工・柄杓師をつとめており、千家好みの道具の制作を行っています。
黒田家では柄杓以外にも台子、香合、花入など竹を使用する茶道具の制作を行っており、江戸幕府時代から続いています。
当代は13代となっており、黒田家で制作する柄杓は「正玄型」と称され、風炉用、炉用、差通しの3種類に分ける事ができます。
また、黒田家の工房では代々が自ら竹を切り取りに行っており、竹を選ぶ作業も立派な茶道具を作る工程と考えています。
切り取った竹は水分が抜けるまで乾かし、炭火で燻して油分を抜きます。
その後、天日干しをして白っぽい色になってきたら4~5年倉庫で寝かせて初めて材料として使用する事ができます。
茶杓1本とはいえ、かなりの年月を必要としているのです。
そんな黒田家は越前黒田庄の武士の家でした。
西軍に加わっていた初代・黒田正玄は関ヶ原の合戦の後、大津に居を構え竹細工職人となりました。
竹細工の評判は小堀遠州の耳にも届き、小堀遠州から道具の制作依頼を受け、稽古にも通うようになります。
その当時は「日参の正玄」と呼ばれ、柄杓作りは秀吉から天下一の称号をもらっていた一阿弥から手ほどきを受けました。
初代の活躍により、黒田家は明治維新にいたるまで歴代の三千家、将軍の御用達柄杓師として活躍します。
その後、いくつかの当主の早世によって婿養子を迎えるなど家督相続と明治維新によって大変な時代を迎えます。
更に追い打ちをけるように幕府崩壊によって茶道も衰退していき、その時代に当主であった11代、12代は周囲の援助を受けながら黒田家を守り続けてきました。
現在は13代によってこれまでに黒田家に受け継がれてきた伝統を守りながら、多くの茶人に愛される茶道具作りに精を出しています。