臨剤宗大徳寺派大本山龍宝山大徳寺塔頭黄梅院二十世住職として有名な小林太玄はとても達筆である事でも有名です。
そのため、多くの掛軸を残しています。
また気さくな人柄も人気の一つで、大徳寺を訪れた際に朱印帳に印を押す際もタイミングが合えば快く対応しているそうです。
小林太玄が住職を務める大徳寺塔頭黄梅院は織田信長が父・信秀の追善供養のために春林宗俶を迎えて創建されたもので、はじめは黄梅庵と名付けられました。
しかし、信長は本能寺の変で命を落とし、その葬儀を羽柴秀吉によって大徳寺で盛大に行われました。
秀吉は信長の塔所として黄梅庵を改築しましたが、主君の塔所としては小さすぎるという理由から大徳寺山内に総見院を新たに創建します。
その後、春林の法嗣の玉仲宗琇が入寺し、小早川隆景の帰依を受け、堂宇を整備すると黄梅院と改められ、現在もその名称で続いています。
小林太玄は中国奉天で生まれ、6歳には出家しています。
禅宗の僧になるために花園大学を卒業し、相国寺僧堂の大津櫪堂に参禅します。
禅宗の僧となるには専門の大学を卒業したからといってなれるものではなりません。
一度は必ず専門道場に入門して修行僧として生活しなければならないのです。
小林太玄も厳しい修行時代を乗り越え、大徳寺塔頭黄梅院二十世住職としてつとめを果たしています。