千家十職の一つ指物師である駒沢家の当主が代々受け継ぐ名称で、14代が亡くなってから30年ほど空席の状態となっており、14代の甥の息子である吉田博三が後を継ぐために修行を重ねています。
駒沢家は三千家御用達の棚や香合、炉縁などを制作しており、指物師の指物とは釘を使わずに木だけで組み合わせて形を作る木工品の事です。
指物の「指す」は「差す」とも表記され、物差しで板の寸法を測るところからもその名に由来があります。
駒沢家は初代・宗源が延宝年間に指物業を始めたのが最初とされており、積極的に千家に関わるようになったのは4代になってからでした。
4代は表千家六世・覚々斎の知遇を得て千家出入りの茶方指物師として指名され「利斎」の名を与えられました。
以後、駒沢家の当主は「利斎」を名乗るようになります。
江戸時代後期に活躍した7代は指物だけではなく、塗師としても一流の腕を持っており、塗師としての号は「春斎」を用いています。
8代黒田正玄や11代飛来一閑らと合作を作るなど意欲的に製作を行っていたため「駒沢家中興の祖」といわれています。
駒沢家の歴代の当主は他の千家十職の家と比べても短命で、明治以降の当主は活躍する前に亡くなってしまう事が多く、常に後継者問題に悩まされています。
しかし、その歴史と伝統は絶やさぬことがないよう、吉田博三が当主として成長するまで一族みんなで駒沢利斎の名を守り続けています。