愛知県瀬戸市出身の日本の陶芸家。
生家は陶祖「加藤四郎左衛門影正」の26代の末裔とも言われ、代々焼き物を生業としている名家で赤津に移り住んでからも、10代目と成る名家である。なお、父・春逸は割烹食器が専門で、高級料理店の食器を造っていた。
鈴木青々、河本五郎とともに瀬戸を代表する3本柱の一人である(「瀬戸の三羽からす」と呼ばれていた)。
伝統技法による茶陶から食器まで、幅広く手掛ける。灰釉を用い、呉須が美しく流れる技法は印象的である。
県立窯業学校を卒業後は、京都にて板谷波山に師事する。
1950年第六回日展にて初入選となり以降日展を中心に各種工芸展に出品を重ね、55年に日本陶芸展文部大臣賞、60年に第3回新日展にて特選・北斗賞、90年新工芸展内閣総理大臣賞、91年に日展内閣総理大臣賞を受賞する。この間、ブリュッセル万国博覧会などにも出品しておりグランプリに選出されるなど国内外にて高い評価を持つ。
そのほか、74年に瀬戸市功労賞、82年愛知文化功労表彰、83年東海テレビ賞、87年訓四等瑞宝章などの受賞暦を持ち、93年に愛知県指定重要無形文化財に認定されている。
志野、織部、黄瀬戸、御深井など古瀬戸に対する造詣も深く写し物などに秀でているが現代の造形感覚も取り入れた新鮮な作域を見せるものも少なくなく瀬戸焼作家を代表する一人として多方面に貢献を示している。
1916年 愛知県瀬戸市で加藤春逸の長男として生まれる。
1946年 瀬戸市赤津町にて本格的な製陶に従事する。
1950年 第六回日展に「黒い壷」を出品し初入選を果たす。以後連続入選する。
1959年 日本橋三越で個展を開催する。
1960年 戦後の第三回日展に「湖上の月」を出品し、特選の北斗賞を受賞。
1974年 瀬戸市功労賞。
1982年 愛し文化功労表彰。
1983年 東海テレビ賞。
1987年 勲四等瑞宝章。
1990年 新工芸展で内閣総理大臣賞を受賞。
1991年 日展で内閣総理大臣賞を受賞。
1993年 愛知県指定重症無形文化財に認定される。
2005年 呼吸器疾患の為、死去。享年88歳。