伝統ある京焼の名門・宮川家から分家してできた京焼の窯元で、宮川香雲はその当主が代々襲名する名称です。
初代・宮川香雲は3代・宮川香斎の子として生まれましたが、宮川香斎から分家して、龍谷窯を開きました。
京焼は京都で焼かれる焼物の総称で、様々な作風があります。
宮川香雲も京焼作家の一人ですので、宮川家の伝統的な京焼の流れをくみながら作陶を続けました。
その2代目を継いだのは4代・宮川香斎(初代・真葛香斎)の甥で、1980年に2代目を襲名しています。
襲名する前は6代・清水六兵衛に師事し、清水焼の絵付けを学び、新しい香雲の作風を展開していきました。
現在では仁清写、乾山写、金襴手を得意とし、華やかで雅趣に溢れた作風が特徴で、茶碗や水指といった茶陶を中心に制作を行っています。
また、宮川家は宮川香斎を本家として、宮川香雲以外にも横浜に移住し、「横浜真葛」「舶来香山」で知られる宮川香山も分家として成立しており、薩摩焼の影響を受けた素晴らしい造形で国内外の展覧会で受賞を重ね、世界に真葛焼と宮川香山の名を馳せた事でも知られています。