南口閑粋(みなみぐちかんすい)は大阪府出身の陶芸家で、雅やかな作風で人気がありながらも廃窯となっていた杣山焼(そまやまやき)を再興させた人物としても知られています。
南口閑粋は東京タワーの完成や長嶋茂雄が4打席4三振という鮮烈なデビューを飾り、スバル360やホンダのスーパーカブ、ファッションではロカビリーや茶髪が流行った激動の時代に大阪府で生まれました。
京都府立陶工高等技術専門学校で学び、卒業後は京焼の名門である宮川家から独立し、龍谷窯を築いた宮川香雲に7年ほど学びました。
その後は、京焼の家元で千家十職の土風炉・焼物師でもある16代・永楽善五郎のもとで4年ほど学んだ後に独立して開窯しています。
独立後は文化年間に杉山吉右衛門が琵琶湖の西側に多くの陶工を集めて上品で質の良い焼物を目指し、人気が出たものの廃窯となっていた杣山焼を再興させるなど独自のスタイルで創作活動を行っており、研ぎ澄まされた感覚と人並み外れた表現力で雅やかな作風を生み出しています。