【二代 中村翠嵐】茶道具・煎茶道具の買取作家・取扱い一覧

0120-226-590 営業時間 9:00~19:00(年中無休)
買取品目一覧

二代 中村翠嵐

二代 中村翠嵐
二代 中村翠嵐(1942~)
京都府出身の昭和~平成時代に活躍する日本の陶芸家です。
交趾焼の第一人者として知られ、黄、青、紫、緑などの鮮やかな釉薬発色の交趾焼作品を得意としており、極細陶彫による華紋や波紋などに技術力の高さを感じる事ができます。
また、亀鶴、宝尽くし、干支、季節の花など定番のものから東京や横浜の風景を描いたデザインも有名です。
交趾焼の技術の上に他の要素を加えた茶陶としての交趾作品を一貫したテーマとして制作しており、常に新しい技術と作風に取り組んでいます。

初代・中村翠嵐の息子として生まれた2代・中村翠嵐は本名を正機(まさき)といいます。
生家は陶磁器上絵付業を営んでおり、2代・中村翠嵐も家業を継ぐために日吉ケ丘高等学校美術課程陶芸科を卒業し、父親である初代・中村翠嵐に師事して作陶修行に励みました。
2代・中村翠嵐が得意とする交趾焼とは交趾舟貿易により日本に渡ってきた色鮮やかな焼物と、写し物として日本国内の主に京焼で生産されてきた色絵陶磁器全般の事を示しており、古来の日本にはなかった色使いが特徴の焼物です。
2代・中村翠嵐はこの従来の交趾焼の技法に絵具の改良や新しい技法を付け加えて新しい交趾焼を作り、「交趾焼」という言葉を中村翠嵐の商標登録としました。

一方で作家としては数々の公募展に出品し、受賞を重ねており、京都府の依頼によって交趾焼飾り皿の制作を行うなど活躍を見せています。

二代 中村翠嵐年表


1942年 京都府で生まれる
1961年 日吉ヶ丘高等学校美術課程陶芸科を卒業する
1961年 初代・中村翠嵐の元で作陶の修行を始める
1978年 全国各地で個展を開く
1980年 ニュージーランド・カンタベリー美術館に寄贈出品し、常設展示される
1982年 上絵陶芸展で京都府知事賞を受賞する
1984年 京焼・清水焼展でグランプリを受賞する
1984年 全国伝統的陶芸展でNHK会長賞を受賞する
1987年 京焼・清水焼伝統工芸士に認定される
1993年 現代の京焼・清水焼パリ展に出品、同典実行委員長をつとめる
2003年 経済産業大臣表彰を受ける
2008年 京都府の依頼により、交趾焼飾り皿を制作する
2010年 「現代の名工」厚生労働大臣表彰を受ける

1942年 京都府で生まれる

1961年 日吉ヶ丘高等学校美術課程陶芸科を卒業する

1961年 初代・中村翠嵐の元で作陶の修行を始める

1978年 全国各地で個展を開く

1980年 ニュージーランド・カンタベリー美術館に寄贈出品し、常設展示される

1982年 上絵陶芸展で京都府知事賞を受賞する

1984年 京焼・清水焼展でグランプリを受賞する

1984年 全国伝統的陶芸展でNHK会長賞を受賞する

1987年 京焼・清水焼伝統工芸士に認定される

1993年 現代の京焼・清水焼パリ展に出品、同典実行委員長をつとめる

2003年 経済産業大臣表彰を受ける

2008年 京都府の依頼により、交趾焼飾り皿を制作する

2010年 「現代の名工」厚生労働大臣表彰を受ける


二代 中村翠嵐代表作

浅黄交趾青海波花文皆具
浅黄交趾青海波花文皆具

浅黄色の釉で彩られた交趾焼きの皆具。
交趾焼きに魅せられた翠嵐氏の作品。
翠嵐氏による彩色は独特であり、非常に美しい。
茶道の道具としては煌びやかな部類に入ると思われる。
又、交趾焼きは他の焼き物とは一線を画いている様に見えるが、
交趾焼きは茶道の世界で大変珍重され、
高く評価されたという歴史を持っている。
交趾焼きは16世紀ごろにベトナムの交趾支那(コーチシナ)との貿易により日本に入ってきたと云われている。
そのためこの手法の焼物は交趾焼(こうちやき)呼ばれています。
近年の研究ではこの交趾貿易について再考されています。
中国は福建省平和県田杭の田圃から沢山の交趾焼の陶片が出てきて、
そこの殻捨て場から寛永通宝が発見された。
という事は交趾焼きはそこで焼かれた物ではないか
と考えられる様になってきています。

交趾干支戌香合
紫交趾青海波皆具(窯物)
二代 中村翠嵐高価買取ならいわの美術にお任せください!

お問い合わせ・無料査定はこちら

美術店なので美術品、絵画、骨董品、宝飾品、ブランド品なども他店より高価買取!

全国出張買取
宅配買取
出張買取
遺品整理のご案内
はじめての方へ
いわの美術の強み
骨董品・美術品のお役立ち情報
いわの美術の買取専門サイト
お酒買取専門店
茶道具高価買取
骨董品高価買取
着物買取専門店
在庫高価買取
SSL グローバルサインのサイトシール