楽一入は三千家に出入りが許されている千家十職の楽焼茶碗師で、千家好みの茶碗を作る事の出来る楽家4代目当主です。
楽一入は3代目道入の長男として京都に生まれ、4代目楽吉左衛門を襲名し、隠居後は先代から始まった習わしである「入」の字を使った一入(いちにゅう)と号します。
惜しまれながらも57歳で没しています。
若き頃の楽一入は歴代随一といわれていた道入の影響を受け、父譲りの独創的な作風でしたが徐々に長次郎の侘びの思想を追及した作風に変化していき、後に黒釉に朱色が混ざり合う朱釉を確立させ後世に大きな影響を与えています。
楽一入の作品は五岳の美しさはもちろんですが、茶溜りは少し深めです。
小さく引き締まった高台と腰に丸みがある茶碗や「一入黒」と特称される光沢の少ない黒楽に人物を描いた珍しい文様の茶碗の他にも、聚楽土が濃く発色し窯変による景色が楽しめる赤楽、「焼貫」と呼ばれる焼成手法を用いた水指などがあります。
楽一入の作品は無印が多く、在印茶碗はとても少ない事でも知られています。
また、現存している数は少ないですが共箱も一入から始まりました。
その他にも妻である妙入も陶技を嗜んでおり、紀州徳川家に献上するなどして夫婦揃って活躍していた事でも知られています。