楽弘入は三千家に出入りする事が出来る、千家十職の楽焼茶碗師で楽家12代目当主です。
楽弘入は11代目楽吉左衛門である慶入の長男として生まれ、15歳で12代目楽吉左衛門を襲名しました。
隠居後は代々受け継がれている「入」字を使い弘入と号します。
楽弘入は父である慶入と同じく文明開化の時代で伝統工芸の衰退が進んでいました。
そのため当時、流行り廃りを番付表に並べる悪ふざけの一種のようなものがあり、廃れ部門で関脇として扱われる程、茶道の地位は低下していました。
そのせいなのか若き頃の楽弘入の作品は少ないといわれています。
楽弘入の作品は独特のヘラ使いに特徴があります。
個性を抑えヘラで温厚的な表現と造形的な変化を求めた作風だといわれています。
また二重の幕釉を得意としていたとも知られており、自然の蛇蝎釉を生み出すなど創意工夫を感じます。
楽弘入の黒楽は若干黄褐色を帯び、赤楽の釉は少しくすんで見え、青い窯変を出すことが得意といわれています。
楽弘入の作品は茶碗だけではなくカラフルで用の美を感じる5客・10客揃い皿などの作品や香合、水指などもあります。
そんな楽弘入は惜しまれながらも76歳で没します。
それまでの間、苦難を乗り越え、家業維持に励んだ後に茶道復興の動きがあり、楽家にも余裕が生まれ、京都本邸と滋賀県の別荘で優雅に暮らしていたそうです。