楽惺入は楽焼窯元の当主で楽家13代目楽吉左衛門です。
楽家は三千家に出入りする事の出来る千家十職の1つに数えられます。
楽惺入は若干15歳という若さで吉左衛門を襲名した12代弘入の長男として生まれ、32歳で13代吉左衛門を襲名しました。
戦争を重ねた厳しい時代で物資不足など恵まれない環境のもとでの作陶生活に励み、書画・和歌・漢学・謡曲など多くに通じ、織部焼、志野焼、備前焼など各地の焼物も積極的に取り組んでいたからか、ヘラの技術も個性的で、作品は大胆細心であるといわれています。
また、各地の鉱石と釉薬の融合を研究し、鉱石釉を使った黒茶碗の制作にも成功した後に「茶道せゝらぎ」という雑誌を創刊し、それらの研究結果を発表します。
その他にも楽惺入の作品には干支にちなんだ動物や可愛らしい香合や受注による一品物の置物などもあります。
この他にも楽惺入は伊勢神宮や各地の寺や神社にて献茶式を行い、茶道文化を海外持ち込むなど活躍します。
後に国際茶道文化協会や裏千家を統一するために淡交会や財団法人・今日庵を設立するなど躍進し、近代裏千家中興の祖として茶道界初の紺綬褒章、紫綬褒章を受章しました。
没後には惺斎宗左より号「惺入」を授かり、征四位勲三等旭日中綬章も下賜されています。