楽旦入は三千家に出入りする茶道に関わりを持ち千家好みの茶道具を作る事の出来る千家十職と呼ばれる楽焼の茶碗師である楽家当主10代目です。
楽旦入は楽家10代目当主で、本名は田中喜愷(たなかよしすえ)といいます。
巧みなヘラ削りに定評があり、道入以来の名工といわれた9代目・了入の次男として生まれ、17歳という若さで10代目楽吉左衛門を襲名し、隠居後に旦入と号し、紀州徳川家に仕えます。
主に徳川お庭焼の「偕楽園窯」「西の丸お庭焼」「湊御殿清寧軒窯」に奉仕し、徳川治宝直筆「楽」の字を拝領しました。
以来、作品には「拝領印」または「隷書印」と呼ばれる判子を作り、陶印としました。
また、聚楽焼由緒歴代書を作成することで楽家の系譜を整理した事でも知られています。
楽旦入の作品は父親譲りのヘラ削りにさらに磨きをかけ、多才なヘラ削りで茶碗のいたるところを引き立たせます。
楽茶碗のヘラ削りは旦入が完成させたとされています。
また、作風としては織部焼、伊賀焼、瀬戸焼などを上手く取り入れ技巧的で華やかといわれており、窯変による鮮やかな変化をみせる赤楽茶碗に特徴があります。