楽左入の作品を買取ます
楽左入は京都府出身の江戸時代中期に活躍した日本の陶芸家です。
6代・楽吉左衛門を襲名しており、楽吉左衛門とは千家十職の一つ、楽焼の茶碗を作る茶碗師の楽家当主が代々襲名している名前です。
3代・道入以降の各当主は、隠居した時に「入」の字を含む入道号を名乗ります。
京都の商人、大和屋嘉兵衛の次男として生まれた楽左入は、宗入(5代・楽吉左衛門)の婿養子として24歳で6代・楽吉左衛門を襲名した人物です。
そのため、楽家の伝統技法を一から学び、歴代の作品や本阿弥光悦の作品を中心に沢山の写し物を手掛けました。
それは単なる写し物ではなく、楽左入として独自の作風を取り入れており、200碗におよぶ楽茶碗の連作を制作した際、一点ずつ異なる作風で作り上げました。
この連作は「左入二百」と呼ばれており、表千家7代・如心斎によって銘がつけられ、楽左入を代表する作品として広く知られています。
また、歴代の中でも向付を多く制作した事でも知られており、これはこの時代の茶の湯が町人階級にも広がり、向付の需要が増えた事と、楽左入と親戚であった尾形乾山の影響があったのではないかと言われています。