【坂倉新兵衛(14代)】茶道具・煎茶道具の買取作家・取扱い一覧

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坂倉新兵衛(14代)

坂倉新兵衛(14代)
坂倉新兵衛(14代)(1917~1975)
山口県出身の昭和時代に活躍した日本の陶芸家です。
豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に藩主・毛利輝元によって招致された朝鮮の陶工・李勺光、李敬の兄弟が城下で萩藩松本に御用窯を築き、李勺光が本流より分窯して築いた萩焼深川窯を代々受け継いできた由緒ある家柄である坂倉家の14代目として活躍しました。
茶の湯に合う温和の品のあるものに近代性を付加した作品を展開し、これまでの萩焼ではあまり見られなかったものを意欲的に取り組んだ事で知られています。
 
萩焼復興の祖ともいわれる12代・坂倉新兵衛を父に持つ14代・坂倉新兵衛は本名を治平といい、12代・坂倉新兵衛の三男として生まれました。
兄がいたため、県立萩商業学校を卒業してからは神戸市にある海産物問屋に就職します。
しかし体調を崩し退社する事になったため、実家に戻りますが体調が回復すると再び神戸市へ戻り、モロゾフ製菓株式会社に入社し、会社勤めをしながらも父親の作陶を手伝うようになり、陶芸の技術を磨いていきました。
そんな中、兄が戦死という形でこの世を去ってしまったため、家業を継ぐ事となり、13代・坂倉新兵衛の名は兄に追贈し、自身は14代・坂倉新兵衛を襲名しました。
 
14代・坂倉新兵衛を襲名してからは萩焼一筋となり、様々な美術展で受賞を重ねていきますが、陶芸家としてもまだまだこれからという時に胃がんに侵され、58歳という若さでこの世を去ってしまいました。

坂倉新兵衛(14代)年表


1917年 山口県で生まれる
1934年 山口県立萩商業学校を卒業する
神戸市の海産物問屋に就職する
1935年 体調を崩し海産物問屋を退社し、帰郷する
1936年 体調が回復し、神戸市のモロゾフ製菓株式会社に入社する
1946年 長兄が戦死した為モロゾフ製菓を退社し、帰郷する
父に師事し、これより本格的な作陶の道に入る
1959年 第8回現代陶芸展で入選する
1960年 14代・坂倉新兵衛を襲名する
1961年 西日本工芸展で奨励賞を受賞する
1964年 中近東・インドを視察旅行をする
1966年 日本工芸会正会員となる
1967年 山口県芸術文化振興奨励賞を受賞する
1971年 中国文化賞を受賞する
1972年 山口県指定無形文化財に認定される
1974年 山口県選奨(芸術文化功労)を受賞する
1975年 58歳で逝去

1917年 山口県で生まれる

1934年 山口県立萩商業学校を卒業する

00000年神戸市の海産物問屋に就職する

1935年 体調を崩し海産物問屋を退社し、帰郷する

1936年 体調が回復し、神戸市のモロゾフ製菓株式会社に入社する

1946年 長兄が戦死した為モロゾフ製菓を退社し、帰郷する

00000年父に師事し、これより本格的な作陶の道に入る

1959年 第8回現代陶芸展で入選する

1960年 14代・坂倉新兵衛を襲名する

1961年 西日本工芸展で奨励賞を受賞する

1964年 中近東・インドを視察旅行をする

1966年 日本工芸会正会員となる

1967年 山口県芸術文化振興奨励賞を受賞する

1971年 中国文化賞を受賞する

1972年 山口県指定無形文化財に認定される

1974年 山口県選奨(芸術文化功労)を受賞する

1975年 58歳で逝去


坂倉新兵衛(14代)代表作


『萩茶碗「初霜」』
『萩茶碗「山路」』
『萩喰籠』
『萩御本手茶碗』
『萩トジメ水指』
『萩平水指』

『萩茶碗「初霜」』

『萩茶碗「山路」』

『萩喰籠』

『萩御本手茶碗』

『萩トジメ水指』

『萩平水指』


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