韓国の陶芸家で、日本統治時代の韓国京城で生まれました。
そのため、日本語を話す事ができ、朝鮮半島の陶磁器研究家としても知られる浅川伯教(あさかわのりたか)が朝鮮半島全域の窯跡を調査するために通訳兼案内人として雇われました。
この調査で浅川伯教は、700箇所以上の窯跡を調査し、膨大な数の陶片を採取する作業が行っていました。
しかし浅川伯教は池順鐸をただ同行させるだけではなく、高麗青磁を韓国で蘇らせるために古陶磁器の制作方法を指導します。
こうして池順鐸は陶芸家として独立を果たすと京畿道利川郡に陶磁窯を設立し、柳宗悦らの民芸運動に影響を受けながら韓国の陶磁器の研究に邁進します。
高麗青磁や李朝白磁を手本として青磁に文様を象嵌する高麗青磁の技法を復活させ、繊細優美な作風を確立し、鶴や草花をモチーフにした青磁、白磁、粉青沙器は実に見事で壺、茶器、花瓶、香合、水指などを中心に制作しています。
このような功績が評価され、日本の重要無形文化財保持者(人間国宝)にあたる京畿第四号無形文化財に指定され、同じく韓国の陶芸家・柳海剛(ユ・ヘガン)と共に韓国で長らく途絶えていた高麗青磁を再現し、韓国陶磁の復興を果たしたとして日本でも高い知名度を誇っており、コレクターも多い作家として知られています。