千家十職の一つ、袋師の12代目をつとめる昭和~平成時代に活躍する袋師です。
千家十職とは三千家に出入りする千家好みの茶道具を作る十の職人の事で、茶碗師には楽吉左衛門、釜師には大西清右衛門などがその名を連ねています。
また、袋師とは茶碗、茶入れ、茶杓に着せる仕覆や茶器などを清めるなど様々な用途を持つ服紗を作る事が主な仕事です。
土田家は近江国蒲生郡土田村の出身の侍・土田七大夫を祖先とし、彦根藩主・井伊直政に仕官して鉄砲組頭を代々務めた家柄と伝えられています。
その4代後の子孫・半平は本来跡取りでしたが、実母が早くに亡くなり、後妻に入った継母が男児を生んだため家督を譲り、武士を廃業して「越後屋半兵衛」と名乗って西陣織仲買人となりました。
そして、袋物の仕立てを修行し、表千家6代・覚々斎に引き立てられて茶入の仕覆などを縫うようになり、袋師としての歴史が始まりました。
5代までは仕覆を生業としていましたが、服紗や角帯なども手掛けるようになり、後に7代・如心斎より友湖の号を贈られ今日まで続いてきました。
土田家の当主の通称は半四郎ですが、先代が隠居して剃髪すると友湖を名乗るようになります。
その12代目として生まれた12代・土田友湖の本名は陽三といい、11代の次男として生まれました。
家業を継ぐと、伝統文様をベースとして古雅な緞子から華美な金襴まで多彩な名物裂(めいぶつきれ)を用いて精緻に計算された寸法により茶道具を引き立てる作品を発表するようになり、多くの茶人から支持されました。
世界各地の布で仕立てるなど、袋師としての可能な限りの挑戦を続けており、どんな形の茶道具にも合うように見立て、取り合せを考え、制作を行っており、袋師の最高峰として活躍を見せました。