新潟県出身の昭和~平成時代に活躍した日本の陶芸家です。
従来の志野にはなかった、うねるような窯変景色を持つ鬼志野を制作した陶芸家として有名ですが、絵画、書、彫刻、篆刻作品などにも秀作を見せており、特に絵画は赤系統をふんだんに使った「燃える赤」と言われる色彩使いが特徴で、これは穴窯の炎を表現しているそうです。
また、マチエールも鬼志野を彷彿させるうねるような表面の動きを筆の動きに置き換えられているのが月形那比古の絵画の特徴です。
父親は石彫家、母親は華道家という芸術一家に生まれた月形那比古は、幼い頃から芸術的感性を磨きながら育ちました。
学生時代は学徒出陣しており、第二次世界大戦へ参戦し、陸軍技術将校として活躍しました。
戦後は復学し、日本大学芸術学部を卒業後、荒川豊蔵の作品を見て感銘を受け、岐阜県大萱に桃山期の古窯(天の窯・地の窯)を再現し作陶を始めます。
荒川豊蔵は桃山時代に発祥し、衰退してしまった志野を研究し、現代に復興させた人物で、月形那比古も志野の研究を重ね、半地下式穴窯を築いて薪を燃料とする独自の焼成方法を生み出し、志野を長時間焼成する事によって「鬼志野」を完成させました。
この事は昭和の陶芸界に大きな影響を与え、間接的に海外の陶芸家たちにも影響を与え、「oni-shino」「devil-shino」「damon-shino」として国際的に知られるようになり、美濃の陶工としてパリで初めて単独個展を行い、「東洋のピカソ」と呼ばれるようになりました。
また、鬼志野は焼成が難しく、月形那比古は炎の強弱を作品に反映させるために自ら炎をコントロールする事ができた事から「炎の陶工」「炎の陶人」「沙門の陶工」の異名を持っています。
しかし、陶芸だけでは食べていく事ができなかったため、絵画、映画、写真、建築、篆刻、書、彫刻、モダンバレエの舞台監督などジャンルを超えた多彩な創作物を生み出しており、彫刻作品は長野市善光寺にある「善光寺御縁起・如来奉遷本田善光尊像」が知られており、絵画作品は「富士シリーズ」、書や篆刻は禅をテーマにした作品を展開しており、これらすべての創作活動のテーマは「生存への畏敬」と月形那比古本人が語っています。
そのため、晩年の頃の作品には金彩を加えて琳派の表現をするなど更なる芸術世界を見せ、これまでに多くのファンを魅了してきました。
1923年 新潟県で生まれる
1941年 学徒出陣し、第二次世界大戦へ参戦する
1968年 「ここに生きる(NHK)」に出演する
1970年 鬼志野作品がアメリカを中心とした海外にも紹介される
1971年 「日本点描・異端児誕生(NHK)」に出演する
1972年 「ふるさとのアルバム(NHK)」に出演する
1979年 「月形月形那比古・炎と祈りの世界(日本テレビ系列及びよみうりテレビ系列)」に出演する
1981年 「月形那比古・鬼志野/修行と心(NHK)」に出演する
1984年 「月形那比古・年始初窯(NHK)」に出演する
1999年 「おはよう日本(NHK)」 などに主演する
2006年 8月16日急性心筋梗塞84歳で逝去
1923年 新潟県で生まれる
1941年 学徒出陣し、第二次世界大戦へ参戦する
1968年 「ここに生きる(NHK)」に出演する
1970年 鬼志野作品がアメリカを中心とした海外にも紹介される
1971年 「日本点描・異端児誕生(NHK)」に出演する
1972年 「ふるさとのアルバム(NHK)」に出演する
1979年 「月形月形那比古・炎と祈りの世界(日本テレビ系列及びよみうりテレビ系列)」に出演する
1981年 「月形那比古・鬼志野/修行と心(NHK)」に出演する
1984年 「月形那比古・年始初窯(NHK)」に出演する
1999年 「おはよう日本(NHK)」 などに主演する
2006年 8月16日急性心筋梗塞84歳で逝去