和太守卑良の作品を買取ります
和太守卑良は兵庫県出身の昭和~平成時代に活躍した日本の陶芸家です。
ロクロを使用しない手捻りによる成形で現代的でモダンな造形力を見せ、線紋の絵付を施す「杉紋」「雲花紋」や、焼成時に異なった発色をする陶土を混ぜ合わせて幻想的な作品に仕上げる「彩土」など独創性の高い作品で知られています。
また、加守田章二と年齢は10歳以上離れていましたが、陶芸界では珍しく兄弟のように縁が深く、独創的な象嵌による文様の作品は作風が近いと高い評価を受けています。
京都市立美術大学在学中に富本憲吉と出会い、卒業後に当時学長であった長崎太郎から要請を受け、高知県安芸の古窯の復興に従事しました。
茨城県笠間市に移るとそこで窯を築き、創作活動に没頭します。
日本陶芸展では初出品をしてから毎回出品し、日本伝統工芸展においても毎回入選を果たすなど名声を高めていきました。
しかし、日本工芸会を退会し、無所属作家として東京や大阪を中心に個展で作品を発表するようになります。
その活動は日本のみならず海外へも進出を果たし、ニューヨークで個展を開催し、大盛況に終わりました。
陶芸家としてこれからの活躍が期待されていた和太守卑良ですが、すい臓がんによって体が蝕まれていきました。
和太守卑良は進行する病魔には勝てずこの世を去ってしまいましたが、幾何学的な文様に純日本風の装飾をこらす技法は、古典美を新たな様式で蘇生させるものとして、後の工芸品にも影響を与えました。