韓国ソウル出身の韓国の陶芸家で、韓国の人間国宝第一号として知られています。
失われた高麗青磁の技術を復活させ、その名を陶芸界に刻んだ人物ですが、韓国では同じ高麗青磁を題材に活躍した池順澤ほどの人気はなく、韓国よりも日本の方が人気の高い作家です。
柳海剛は本名を根瀅といい、17歳の時に目にした高麗青磁に心奪われ陶芸家になる事を決意しました。
本格的に陶芸の修行に励む中、全国各地の古陶窯地の調査を始めます。
柳海剛が心奪われた高麗青磁とは朝鮮半島の高麗時代に制作された青磁器の事で、当初は中国の越州窯の影響を受けた作風が多く、次第に独自の優美な器形を持つようになり、象眼模様を施す象嵌青磁などが作られました。
その後、高麗青磁の再現に成功した柳海剛は古くから伝わる高麗青磁特有の花鳥や草木をモチーフにした文様を駆使し、花瓶、壺、皿、香炉、酒器など亡くなるまでに数多くの高麗青磁作品を制作しました。
その活躍は韓国のみならず、日本の別府市博覧会に出品した青磁が金牌賞を受賞した事で日本でも広く知られるようになり、アメリカではカリフォルニア国際博覧会に出品した青磁が金メダルを獲得するなど世界での活躍も見られました。
また、透かし彫り、陰刻技法も得意としており、高麗青磁に精緻な透かし彫りが施された作品は実に見事です。
その後、海剛陶磁美術館を設立して自身の作品及び収集品およそ7000点を所蔵品として、韓国唯一の陶磁器美術館として開館し、その生涯を高麗青磁に捧げた陶芸家として評価されました。
ちなみに柳海剛の名は息子の柳光烈が2代目として継いで作陶を続け、柳光烈の作品も一緒に展示されています。