【竹内栖鳳】帝室技芸員の買取作家・取扱い一覧

0120-226-590 営業時間 9:00~19:00(年中無休)
買取品目一覧

竹内栖鳳

竹内栖鳳
竹内栖鳳(1864年~1942年)

竹内栖鳳の作品をお買取りいたします。



竹内栖鳳(たけうち せいほう)は、明治・大正・昭和にかけて京都画壇で活躍し、近代日本画の基礎を築いた巨匠のひとりです。

円山・四条派の流れを汲む日本画から出発し、日本画家として初めての渡欧から西洋画の視点を持ち帰り日本画に昇華させました。

同時代かつ同年代の横山大観と並んで「東の大観、西の栖鳳」と評され、多数の弟子を輩出し、大観とともに第一回文化勲章を受章しています。




竹内栖鳳の略歴

竹内栖鳳は幕末の元治元年(1864年)に京都の料亭、亀政を営む家の長男として生まれました。

幼少から絵を描くことを好み14歳で四条派の土田英林に入門し、18歳から幸野楳嶺に師事します。

早くから頭角を表した栖鳳は19歳で私塾の工芸長を勤め、1884年に京都府画学校の北宋画科で学び、3年で卒業後に結婚、居を構え画家として本格的に始動しました。

当時の京都画界は幕末の動乱ののち、遷都により皇室の需要を失って低迷しており、竹内栖鳳と師・楳嶺は京都画界の再興に尽力します。

さらに、幕末から続く流派主義の縦割り社会を廃し、新しい日本画習得の道を築き、同時代の若手画家の横のつながりを実現する重要な役割を果たします。

23歳のとき祇園でフェノロサの美術講演を聞く機会があり、「日本画は外国でも受容される実用的な図案を工夫すべき」との言に、変容し西欧化する社会での日本画の進路を見出し、京都青年絵画研究会を発足しました。

1889年から京都府画学校へ出仕となり、呉服屋であった高島屋意匠部にも勤め、反物の図案を手掛け万国博覧会へ多数の優品を送る仕事に携わりました。

1892年に発表した「猫児負喧」では、新たな表現をもとめて日本画諸派の筆遣いを一枚の絵に共存させ、動物の写実描写には円山派を、土波と岩は土佐派から、草花は四条派をとりいれる作品を試みます。

しかし当時の京都画界は東京に比べ守旧的な空気があり、江戸から綿々とつづく円山派、四条派、狩野派、岸派が残っていました。

進歩的な表現は、複数の動物の融合した妖怪・鵺(ぬえ)に例えられ鵺派と揶揄され、批判の的となります。


1895年に幸野楳嶺が逝去し、続く1897年に師と並んで京都画壇の三巨頭であった岸竹堂も亡くなると、時代の変わり目を迎えます。

その翌年開催された第四回新古美術品展で鑑査委員を務め、駆け出しの菊池桂月が褒状となるなど京都美術界にとって重要な展覧会となりました。

この頃には多くの弟子を抱え、1899年に京都市美術工芸学校の教諭に推挙され、名実ともに京都画壇の第一人者となっていました。

竹内栖鳳の弟子は「竹杖会」という一派となり、栖鳳の画家・指導者両面における優れた素養によって、現在の京都画壇にまで竹杖会の系譜が続いています。


1900年のパリ万博で「雪中燥雀」が銀牌を受賞し、視察の任をうけ日本画家として初めて渡欧します。

7カ月にわたる滞在で夏から初春にかけフランス・イギリス・ベルギー・オランダ・ドイツ・オーストリア・ハンガリー・イタリアを巡り、古今の西洋美術を目にする機会を得ます。

西洋絵画を注意深く観察・鑑賞した栖鳳は、帰国後も西洋画の技法を単純に取り込むのではなく、ものをよく観察し本質をとらえて日本画として描くことに昇華しました。

帰国わずか2カ月で新古美術品展に出品した「獅子」の六曲一双屏風は一等金牌となり、日本画の伝統画題である獅子を西洋画由来の写実で捉え、日本画の豊かな描法を駆使して表現した傑作と言えます。

                                     

1907年の文展開設とともに審査員となり、1909年に設立した帝展となってからも歴任し、1913年に帝室技芸員に推挙、1919年に帝国美術院会員となり美術界で不動の地位となりました。


1920年と翌年に中国へ旅行し北京・蘇州・上海などを訪れ、風光明媚な風景画を制作し、そのうちの「蘇州の雨」は日仏交換展ののちリュクサンブール美術館の買上げとなりました。

これらの実績から1924年にレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを授与されし、翌年日本でも勲五等を叙勲、1930年にはレジオン・ドヌール・オフィシエを受賞しました。


1931年に最初の変調を来し、回復したものの1933年に竹杖会を解散し、療養しながら制作を続けます。

温暖をもとめ京都を離れて湯河原を拠点としてからも、京都美術界での影響力は衰えず、1937年に横山大観と並んで第一回文化勲章の受賞者となりました。

最晩年まで制作意欲は衰えず、第二次大戦中の陸軍省依嘱作が絶筆となり1942年に77歳で病没となりました。


 

竹内栖鳳の作品をお買取りいたします。

近代日本画への道筋をつくった偉大な画家の一人である竹内栖鳳は、多くの弟子を世に送り出し、その弟子たちから更に後代の画家が続いています。

竹杖会に属していた画家には上村松園、伊藤 小坡、西村五雲、橋本閑雪、井口華秋、小野竹喬、村上華岳、土田麦僊、西山翠嶂らが名を連ねています。

竹内栖鳳の作品は画題・画法ともに多岐にわたり、作品によって千変万化するため真作の見極めには経験が必要となります。

日本美術史の重要人物であり人気の画家のため、中古美術市場でも需要の高い作家の一人として、高価買取となる場合が多くございます。


いわの美術では骨董品・美術品を多数お買取りしております。

日本画、掛軸の豊富なお買取り実績があり、専門知識を有する査定員が丁寧に拝見します。

ご自宅やご実家、蔵や倉庫のお片付けにて、ご売却をお考えの竹内栖鳳の作品がございましたら、いわの美術にお任せくださいませ。



お問い合わせはお電話・メール・LINEにて受け付けております、お写真をお送りいただくオンライン無料査定も行っておりますので、ぜひご利用ご検討ください。

竹内栖鳳高価買取ならいわの美術にお任せください!

お問い合わせ・無料査定はこちら

美術店なので美術品、絵画、骨董品、宝飾品、ブランド品なども他店より高価買取!

全国出張買取
宅配買取
出張買取
遺品整理のご案内
はじめての方へ
いわの美術の強み
骨董品・美術品のお役立ち情報
いわの美術の買取専門サイト
お酒買取専門店
茶道具高価買取
骨董品高価買取
着物買取専門店
在庫高価買取
SSL グローバルサインのサイトシール