【松林桂月】帝室技芸員の買取作家・取扱い一覧

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松林桂月

松林桂月
松林桂月(1876年~1963年)

松林桂月の掛軸をお買取りいたします。

 


写真のお品物は、いわの美術でお買取りいたしました、松林桂月の掛軸「秋景山水図」です。


最後の文人画家として名高い松林桂月は漢詩や書の教養のうえに成り立つ品格ある作風で知られ、この作品も卓越した水墨画とに桂月山人として詠んだ漢詩が添えられた詩軸として、骨董的価値の非常に高い逸品です。


詩・書・画のすべてが優れている「詩書画三絶」の境地を目指し、明治から昭和にかけて洋風化する日本で南画の評価が低迷していく中でも、素晴らしい文人画を残しました。





松林桂月について

松林桂月(まつばやし けいげつ)は1876年山口県萩で生まれ、86年の長い生涯のなかで名作の多くを生み、日本画界を牽引する役職も歴任しました。

尋常小学校卒業後に地元資産家の瀧口吉良の援助のもと18歳で上京し、1894年から野口幽谷に師事し日本画の道に入ります。

野口幽谷は椿椿山の画塾で学んだ南画の直系で、帝室技芸員となった高名な日本画家です。幽谷のもと桂月は精緻で廉潔な描写を学びました。

1897年当時、死病といわれた結核を患った桂月は難しい画題に取り組み、作品として完成した「怒涛健鵰」は桂月の代表作の一つとなる傑作でした。

荒波に立つ険しい岩の上に猛禽のなかに種々の技法が凝らされ、制作当時短命を危惧していた桂月渾身の作であり、同年の日展で入賞も果たしその後の画業の礎となります。



1898年に師・幽谷が没した後はほぼ独学で画業を切り拓き、官展を中心に活躍しながら1906年には日本南宗画会を結成し、南画に新たな表現を取り入れ重鎮にまで登り詰めます。

1919年には帝展審査員に選出され、1932年に帝国美術院会員となり、1944年には師に続き帝室技芸員となった40代~60代は名実ともに円熟期であり、1939年のニューヨーク万国博覧会に「春宵花影」が出品されると国内外で絶賛されます。

右上から左下へ向かう構図法が確立したのもこの頃であり、力作が多く残され現在まで続く高い評価を集めました。

戦後1947年に日中文化協会理事に、1948年に日本美術協会理事、1949年に日展運営委員会常任理事など要職を歴任し、1954年に理事に就任した日展で書をあらたな部門に加えることに尽力しました。

1958年に文化勲章を受章、文化功労者にも選ばれ、1961年に日本南画院会長となった翌々年の1963年に逝去されました。

その後従三位勲二等旭日重光章を受章し多くの名作とともに日本画の歴史に名を刻んでいます。



松林桂月の掛軸をお買取りいたします。

松林桂月は評価と人気の高さに乗じて、真筆だけでなく工芸印刷やいわゆる偽物も散見されるため、ご売却の際は注意が必要です。正当な評価を得るため専門の査定員のいる買い取り店を選択することが重要となります。

作品の署名や落款、桐の共箱の作家の署名や鑑定書などが評価を左右するポイントとなります。

共箱のほか外箱も重要ですので傷みがある場合でもご一緒に残されることをお勧めいたします。


いわの美術では骨董品と古美術品を中心にお買取りしており、松林桂月の掛軸と屏風の買取り実績がございます。

ご自宅やご実家、蔵などを整理されて、ご売却をお考えの松林桂月作品がありましたら、是非いわの美術へお任せ下さいませ。

多くの品目をお取り扱いしておりますので、その他骨董品や茶道具、書道具なども併せてお買取りが可能です。

お買取り査定のお申し込みはお電話・メール・LINEで受付しており、お写真を添付いただきますとネット無料査定が可能となります。お客様からのご連絡をお待ちしております。


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