1836年 生まれる
1855年 女流歌人・大田垣蓮月預けられる
1856年 南北合派の窪田雪鷹、大角南耕などに絵の手ほどきを受ける
1861年 長崎に遊学する
1862年 山中静逸と出会いをきっかけに、画業で生計を立て始め私塾を開設する
1869年 私塾立命館で教員をつとめる
1874年 アイヌの風俗を題材にした代表作『旧蝦夷風俗図』を描く
1881年 京都へ戻る
1886年 京都青年絵画研究会展示会の評議員となる
1890年 京都美術協会委員となる
1891年 京都市立日本青年絵画共進会顧問となる
1893年 京都市美術学校で教員をつとめる
1897年 田能村直入・谷口藹山らと日本南画協会を発足させる
1917年 帝室技芸員となる
1919年 帝国美術院会員となる
1922年 大阪高島屋で個展を開催する
1924年 胆石症が悪化し逝去
『阿倍仲麻呂明州望月図』
『円通大師呉門隠栖図』
『二神会舞図』
『旧蝦夷風俗図』
『富士山図屏風』
『妙義山・瀞八丁図屏風』