【橋本関雪】帝室技芸員の買取作家・取扱い一覧

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買取品目一覧

橋本関雪

橋本関雪
橋本関雪(1883~1945)
兵庫県出身の大正~昭和時代に活躍した日本画家です。
基本的作風は南画で、漢学の深い教養にもとづき中国の古典に取材した数々の作品を発表し、石濤や八大山人などの明末清初の文人画家に傾倒した東洋画の本質を南画に見出した事で新南画と呼ばれる新領域を拓いた事で知られています。
また、動物画にも優れた才能を見せており、「玄猿」という黒のテナガザルが描かれた作品は橋本関雪の画業を語る上では名作として外す事のできない作品です。
この作品が昭和天皇の直讃を受け文部省の買い上げとなった事で、橋本関雪は「猿の関雪」と呼ばれるようになりました。
ちなみに「関雪」というのは号で、播磨明石藩儒だった父親が藤原兼家の逢坂の関にまつわる故事から名付けたものです。
 
父親が詩人、書家の橋本海関ということもあり、幼少期より詩文に親しみ、12歳の頃から四条派画家・片岡公曠について指導を受けており、17歳の頃から本格的に画家を志すようになりました。
竹内栖鳳の画塾・竹杖会に入会すると、上村松園、西山翠嶂、小野竹喬、土田麦僊、池田遙邨、西村五雲、金島桂華などの後の近代日本画を代表する作家たちと交流を深め、文展などに出品を重ねていきます。
しかし、この頃の橋本関雪の作風は「静御前」「後醍醐帝」「片岡山のほとり(聖徳太子の逸話)」など日本的な題材を扱っていましたが、入選を果たす事ができませんでした。
こうして橋本関雪の代表作ともいえる大陸的な文化を下敷きに、陶淵明、 白居易、李白、杜甫などの漢詩世界を表現した作品が生まれ、この作品たちは今までの評価が嘘だったかのように急激に評価が高まっていきました。
そのため、富岡鉄斎の後継的な役割も果たすようになり、東京画壇、京都画壇の中心的存在となっていきます。
 
一方、橋本関雪は作庭の名人でもあり、兵庫県明石の「蟹紅鱸白荘(現・白沙荘)」に続き、京都府銀閣寺畔の自邸「白沙村荘」、滋賀県大津の逢坂山に「走井居(現・月心寺)」、兵庫県宝塚に最大の別邸「冬花庵」を手掛けており、橋本関雪は「庭を造るのも、画を描くのも同じことである」と言い残しています。

橋本関雪年表


1883年 兵庫県で生まれる
1890年 神戸市湊川尋常高等小学校に入学する
父親より家学(漢詩・書画など)を受ける
1895年 四条派の画家片岡公曠に入門する
1900年 東宮御慶事記念展覧会が催され『王昭君』を出品し、御前揮毫を仰せつかることとなる
1901年 曽根神社へ『管公図』絵馬を奉納する
1903年 竹内栖鳳の竹杖会に入る
岩見ヨネと結婚する
1906年 東京美術研精会主催展覧会で研精賞を受賞する
1907年 第1回文展に出品、落選する
1908年 第2回文展にで入選となる
1909年 第3回文展にで褒状を受ける
1910年 漢詩集『関雪詩稿』を出版する
第4回文展で褒状を受ける
1911年 第5回文展で褒状を受ける
1912年 第6回文展で褒状を受ける
1913年 中国大陸を遊行する
第7回文展で二等賞を受賞する
1914年 大正博覧会で銀賞を受賞する
第8回文展に無鑑査出品、二等賞を受賞する
1915年 第9回文展に無鑑査出品、二等賞を受賞する
文展画稿展に出品する
1916年 第10回文展に無鑑査出品、特選となる
1917年 第11回文展に無鑑査出品、特選となる
1918年 第12回文展に無鑑査出品、特選となる
本年より永久無鑑査の推薦となる
1919年 第1回帝展の審査委員をつとめ、出品も行う
1920年 第2回帝展の審査委員をつとめ、出品も行う
東京博覧会の審査委員をつとめ、出品も行う
1921年 外遊のため帝展不出品、審査委員も辞退する
1922年 個展を開催する
1923年 日本美術展の審査委員をつとめる
1924年 帝展美術院委員となる
第5回帝展の審査委員をつとめる
個展を開催する
1925年 関雪画塾・新篁会が解散となる
1926年 個展を開催する
1927年 ギリシャなどの外国美術のコレクションを始める
1928年 パリ日本美術展に出品し、フランス政府買い上げとなる
1929年 紀州矢の子峠にて自動車事故により負傷する
1930年 トレド市、ニューヨーク市日本美術展に出品する
その後この作品はボストン美術館へ寄贈される
1931年 シュバリエ・ド・レジョン・ド・ヌール勲章を授与される
1932年 満州国皇帝に『老松鷲の図』を献上する
1933年 第14回帝展に出品作品は文部省の買い上げとなる
1934年 帝室技芸員に任命される
1935年 第1回京都市美術展の展覧会委員をつとめる
1936年 帝国美術院に辞表を提出する
1937年 盲腸炎を患う
帝国芸術院が成立し、会員に任命され。
1938年 第3回京都市美術展の審査委員をつとめる
第17回朝鮮美術展の日本画の審査委員をつとめる
1939年 橋本関雪聖戦記念画展で朝日賞を受賞する
1940年 京都建仁寺方丈の襖絵60面が完成する
1941年 第6回京都市美術展の審査委員をつとめる
第2回聖戦美術展の審査員をつとめる
1944年 安神宮御鎮座五十年平安遷都千百五十年奉祝京都市美術展の審査員をつとめる
1945年 2月26日狭心症の発作により61歳で逝去

1883年 兵庫県で生まれる

1890年 神戸市湊川尋常高等小学校に入学する

00000年父親より家学(漢詩・書画など)を受ける

1895年 四条派の画家片岡公曠に入門する

1900年 東宮御慶事記念展覧会が催され『王昭君』を出品し、御前揮毫を仰せつかることとなる

1901年 曽根神社へ『管公図』絵馬を奉納する

1903年 竹内栖鳳の竹杖会に入る

00000年岩見ヨネと結婚する

1906年 東京美術研精会主催展覧会で研精賞を受賞する

1907年 第1回文展に出品、落選する

1908年 第2回文展で入選となる

1909年 第3回文展で褒状を受ける

1910年 漢詩集『関雪詩稿』を出版する

00000年第4回文展で褒状を受ける

1911年 第5回文展で褒状を受ける

1912年 第6回文展で褒状を受ける

1913年 中国大陸を遊行する

00000年第7回文展で二等賞を受賞する

1914年 大正博覧会で銀賞を受賞する

00000年第8回文展に無鑑査出品、二等賞を受賞する

1915年 第9回文展に無鑑査出品、二等賞を受賞する

00000年文展画稿展に出品する

1916年 第10回文展に無鑑査出品、特選となる

1917年 第11回文展に無鑑査出品、特選となる

1918年 第12回文展に無鑑査出品、特選となる

00000年本年より永久無鑑査の推薦となる

1919年 第1回帝展の審査委員をつとめ、出品も行う

1920年 第2回帝展の審査委員をつとめ、出品も行う

00000年東京博覧会の審査委員をつとめ、出品も行う

1921年 外遊のため帝展不出品、審査委員も辞退する

1922年 個展を開催する

1923年 日本美術展の審査委員をつとめる

1924年 帝展美術院委員となる

00000年第5回帝展の審査委員をつとめる

00000年個展を開催する

1925年 関雪画塾・新篁会が解散となる

1926年 個展を開催する

1927年 ギリシャなどの外国美術のコレクションを始める

1928年 パリ日本美術展に出品し、フランス政府買い上げとなる

1929年 紀州矢の子峠にて自動車事故により負傷する

1930年 トレド市、ニューヨーク市日本美術展に出品する

00000年その後この作品はボストン美術館へ寄贈される

1931年 シュバリエ・ド・レジョン・ド・ヌール勲章を授与される

1932年 満州国皇帝に『老松鷲の図』を献上する

1933年 第14回帝展に出品作品は文部省の買い上げとなる

1934年 帝室技芸員に任命される

1935年 第1回京都市美術展の展覧会委員をつとめる

1936年 帝国美術院に辞表を提出する

1937年 盲腸炎を患う

帝国芸術院が成立し、会員に任命され。

1938年 第3回京都市美術展の審査委員をつとめる

00000年第17回朝鮮美術展の日本画の審査委員をつとめる

1939年 橋本関雪聖戦記念画展で朝日賞を受賞する

1940年 京都建仁寺方丈の襖絵60面が完成する

1941年 第6回京都市美術展の審査委員をつとめる

00000年第2回聖戦美術展の審査員をつとめる

1944年 安神宮御鎮座五十年平安遷都千百五十年奉祝京都市美術展の審査員をつとめる

1945年 2月26日狭心症の発作により61歳で逝去


橋本関雪代表作

布袋看鶏図
布袋看鶏図

『琵琶行』

『南国』

『寒山拾得』

『猟』

『唐犬図』

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