大正~昭和期の日本の洋画家。
兵庫県神戸市に生まれる。
師は黒田清輝。
1909年に東京美術学校西洋画科では藤島武ニ教室に学び主席で卒業、同学校の助手を勤めるも11年には同校から離れ、12年に私費によりフランスに留学、留学中はパリを拠点にヨーロッパ各国を写生。
15年に帰国すると16年の第10回文展に初入選とともに特選を受賞、更に17年にも特選を受賞、二年連続特選受賞で将来を嘱望されるが1936年に官展を脱会。
以降、無所属作家として孤高の作品制作となり日本全国の写生旅行を続け、戦後1956年の初個展開催まで作品発表は無かった。
自然の生命力や力強さを追求して渓流や湖、海岸、河川など水を通した作品を多く描いた。
『夏の内海』
『氷すべり』
『さびれたつ寛城子』
『大石田の最上川』
『下曽我の梅林』
『一番桜』
『渓流』