【新海竹太郎】帝室技芸員の買取作家・取扱い一覧

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新海竹太郎

新海竹太郎
新海竹太郎(1868~1928)

山形県出身の彫刻家。仏師・新海宗松の長男。息子は画家の新海覚雄。

仏師の長男に生まれる。初めは軍人を志し、19歳で上京後近衛騎兵大隊に入営。士官候補生試験に失敗し失意の日々を送っていたが手遊びで作った馬の木彫が隊内で評判を呼び、上官の薦めもあり彫刻家志望に転じる。初め後藤貞行に師事、次いで浅井忠にデッサン、小倉惣次郎に塑造を学び1896年に軍の依頼により北白川宮能久親王騎馬銅像を製作。彫刻家としての第一歩を示す。1900年に渡欧、パリを経てベルリンに移りベルリン美術学校彫刻部主任教授ヘルテルに師事、当時のドイツのアカデミックな彫刻技法を身につけた。1902年に帰国。同年中村不折らによって創設された太平洋画会の会員となり、以後同会の中心的な存在として活躍する。また1904年に同会研究所が創設されると彫刻部の主任となり、朝倉文夫・中原悌二郎・堀進二など多くの後進を育てた。甥の新海竹蔵も竹太郎に師事し彫刻家として活躍している。

騎兵科出身である経験から馬の像を得意とし、前述の北白川宮能久親王騎馬像のほか有栖川宮威仁親王、大山元帥、南部伯爵などの著名な軍人の騎馬像を手がけている。アカデミックで質実な作風で知られるがアール・ヌーボーの要素を取り入れたり、日本的・東洋的な題材を扱った異色作も数多く残している。1907年の第1回文展以来審査員を務め1917年に帝室技芸員、1919年に帝国美術院会員となった。

新海竹太郎年表

1986年 仏師・新海宗松の長男として山形県に生まれる。
1894年 第9回彫刻競技会に木彫「闘馬」 出品 銅賞。
1898年 岡倉天心・橋本雅邦等と日本美術院 創立 正会員。
1899年 軍の依頼により北白川宮能久親王騎馬銅像 製作。彫刻家としての第一歩を示す。
1900年 渡欧。ベルリン美術学校彫刻部主任教授ヘルテルに師事、
          当時のドイツのアカデミックな彫刻技法を身につける。
1902年 帰国。中村不折らによって創設された太平彫刻会の会員となり、
          以後同会の中心的な存在として活躍する。
1904年 同会研究所 彫刻部主任 朝倉文夫・中原悌二郎・堀進二など多くの後進を育てた。
1907年 文部省美術展覧会創設 審査委員「ゆあみ」出品。
1908年 文部省美術展覧会「ふたり」出品。
1917年 帝室技芸員。
1919年 帝国美術院会員。
1922年 正五位。
1924年 勲六等。
1925年 勲五等に昇叙。
1926年 伊藤博文の胸像を作ったのを最後で病に倒れる。
1927年 死去。

新海竹太郎代表作

『あゆみ』

『露営』

『大山元帥騎馬像』

『青山胤通像』

『老婆』

『少女』

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