ミューラー兄弟 Muller Freres Lunevilleを買取ります
ミューラー兄弟はフランスのモーゼル地方のガラス工芸家の家に生まれた職人たちの事で、9人の男子、1人の女子という10人兄弟という事で知られています。
アール・デコの最盛期に人気の高かったミューラー兄弟ですが、古臭さを感じず、現在にも通用するデザインとして高い人気を誇っています。
ミューラー兄弟はフランスの世界で最も権威あるクリスタル工房の一つであるサン・ルイガラス工場で働いていました。
しかし、普仏戦争の勃発により、リュネヴィルに疎開する事になります。
その後、ミューラー兄弟のうちデジレとウジェーヌがエミール・ガレの工房に入り、その後アンリ、ピエール、ヴィクトールもエミール・ガレの工房に入りました。
こうして最終的にはミューラー兄弟の10人中5人がエミール・ガレの工房でガラス工芸を学んでいます。
エミール・ガレはアール・ヌーヴォーを代表する作家で、ミューラー兄弟たちもエミール・ガレの影響を受け技術を磨いていきました。
その後、三男のアンリが独立を果たし、リュネヴィルに工房を開くと次々と他の兄弟たちも工房に戻ってきました。
こうして、ミューラー兄弟は家族一団となってガラス工房の運営を行い、エミール・ガレの工房で学んだ事をいかし、カメオグラスやカボッション、古典的なパート・ド・ヴェールを中心にグラヴィール技法を用いて繊細なガラス彫刻作品を生み出していきました。
特にグラヴィール技法の事はベルギー最大のガラス工場ヴァル・サン・ランベールでも噂となり、デジレとアンリはヴァル・サン・ランベールに招かれ、411種類のデザインを残しました。
ヴァル・サン・ランベールでの仕事を終えたデジレとアンリは再び、リュネヴィルの工房に戻り、クロワマールの工場を買収するなど、勢力を拡大しながら、制作活動にあたっていました。
アール・デコ期を経て、ミューラー兄弟のリュネヴィル工房は1936年にその幕を下しましたが、その人気は高く、中古市場でも高値で取引されています。
ちなみにミューラー兄弟はそれぞれがガラス工芸職人であったため、作品に刻まれているサインが多数ございます。
基本的には「Muller」が多く、工場地名を入れた「Muller Freres Luneville」や「Luneville」、ナンシー派を主張するような「Muller Croismare Nancy」「Croismare」「Croismare Nancy」なども見る事ができます。