シャトー・ペトリュス Ch.Petrusを買取ります
シャトー・ペトリュスはフランスのボルドー地方ポムロール地区で造られているワインで、世界で最も有名な赤ワインの一つとして知られ、ボルドーワインの中でも最も高価なワインとして高い人気を誇っています。
また、ポムロール地区のワインを有名にしたのもシャトー・ペトリュスで、シャトー・ル・パンとともにポムロールを代表する二大高級ワインと呼ばれています。
フランス国内よりもイギリスやアメリカといった海外に向けて輸出されている量が多く、1889年のパリで行われたワイン評論会において金賞を受賞した事で注目されました。
また、ワイン評論家のロバート・パーカーは「ペトリュスはワインというよりも神話の象徴なのだ」と称賛しています。
そんなシャトー・ペトリュスの現在の畑の面積は11.4haでカベルネ・フランとメルロが植えられていますが、使われるブドウの品種はメルロのみで、場合によってはカベルネ・フランが使われています。
シャトー・ペトリュスの生産本数はわずか4500ケースと少なく、出荷されても世界中の愛好家のセラーに収まってしまうため、市場に流通する量が限られています。
そのため、需要が追い付かず高価となっている場合も多くあります。
シャトー・ペトリュスは18世紀中頃から記録に登場し、当初畑はアルノー家の所有地でした。
そのため、1878年のパリ万国博覧会には「シャトー・ペトリュス・アルノー」という銘柄で出品されていました。
ほとんど無銘のシャトーが金賞を受賞した事は大きな注目を浴びましたが、ワインの価格が高騰する事はなく、現在ほどの地位は確立できませんでした。
その後、アルノー家は会社として設立し、株式を一般公開します。
その株式を購入したのがエドモン・ルバというリブルヌのオテル・ルバを所有する人物でした。
やがてエドモン・ルバはシャトー・ペトリュスの単独所有者となり、リブルヌのワイン商エスタブリスモン・ジャン=ピエール・ムエックスに独占販売権を許可し、国際的に売り出していきました。
その証拠にイギリスのエリザベス王女とエディンバラ公フィリップの結婚式にシャトー・ペトリュスが提供され、エリザベス2世の即位式では1ケースをバッキンガム宮殿に献呈しています。
しかし1956年の冬、霜害がボルドー地域を襲い、シャトー・ペトリュスのブドウ畑もほぼ壊滅状態となってしまいました。
しかし、新しい苗を植えると納得のいくワインを造れるようになるまでに時間がかかり過ぎてしまうため、エドモン・ルバは生き残ったブドウの樹に新しい蔓を接ぎ木するという手法を取り入れました。
この手法は見事成功をおさめ、蔓の平均年齢を高く保つ方法が確立され、現在まで続いています。
その後、エドモン・ルバが亡くなると彼女の姪と甥に残されましたが、両者は財産の事で対立してしまい、事業はエスタブリスモン・ジャン=ピエール・ムエックスの会社が引き継ぐ事となりました。
こうして、シャトー・ペトリュスはエスタブリスモン・ジャン=ピエール・ムエックスそして、その子供や孫に受け継がれ、現在も様々な研究を重ねながら最高のワインを造り続けています。