正宗、郷義弘と並び、名工と呼ばれた
粟田口吉光(藤四郎)が打った刀です。
粟田口吉光は短刀は数多く打ちましたが太刀はこの一振りしか打たれていませんでした。
それに由来して「一期一振」と名付けられたと言われています。
戦国時代には朝倉氏が家宝として所有していましたが、朝倉氏滅亡後に毛利氏が伝承し、豊臣秀吉に献上されました。
豊臣秀吉が所持した時の伝承として、小柄であった自身の体格に合わせて約86センチだった一期一振りを約69センチほどに磨上げたという説があります。
豊臣秀吉の死後は、豊臣家に伝承されていましたが、大坂夏の陣で大阪城が落城した際、火災により焼失してしまいます。
それを知った徳川家康は刀工の越前家継に打ちなおさせ、見事蘇らせる事に成功しました。
以後は尾張徳川家に伝承されていまいたが1863年に当時の藩主であった徳川茂徳から孝明天皇陛下に献上され、現在は宮内庁所蔵の御物となっています。