寺内正毅は武家出身の陸軍軍人であり、明治・大正時代に軍政で活躍しました。
韓国の日本への併合を実現し、初代朝鮮総督として強引ながらも韓国近代化を推し進めたことが最大の功績です。
この掛軸はその歴史的な合併のことに触れている、大変貴重な本人の肉筆の書となります。
長州藩(山口県)の武家生まれの寺内正毅は、幕末は倒幕軍兵、明治期は御親兵としてキャリアを重ねます。
西郷隆盛を自害に追い込んだ西南戦争では、自ら望んで最前線で戦い負傷し、右手が不自由になりました。
これ以後は軍教育や軍政の分野に方向転換します。
フランス留学、続いてフランス駐在武官を務め視野を広げました。
陸軍大臣に度々任命され、1907年にはそれまでの戊辰戦争・西南戦争・日清戦争・日露戦争での活躍を讃えられ、子爵を授けられます。
また容姿がビリケンに似ていることからビリケン大臣と呼ばれていました。
1910年には日韓併合し朝鮮総督府を務め、翌年にはその功績から伯爵の称号を授かります。
そして6年務めた後に朝鮮総督府を辞任し その3日後に内閣総理大臣となりました。
日本で9人目の内閣総理大臣ですが武力行使型の政治家であり、近代史では肯定的に語られることは少ないです。
シベリア出兵の失策と、それに伴った米価高騰による米騒動を抑えるための武力弾圧と言論統制の政策が、非難を浴び僅か2年足らずで内閣総理大臣を辞職しました。
翌年には持病の悪化で亡くなっています。
寺内正毅は日韓併合と朝鮮総督府の時代が最も輝いていた時期であり、関連したお品物は他の時期より良い査定価格が出る傾向です。
日韓併合のきっかけは、併合には慎重であった初代韓国統監の伊藤博文が北満州にあるハルビン駅で暗殺されたことです。
翌1910年、寺内正毅は第3代韓国統監となり、日韓併合します。
同時に名称は日本が名付けた『韓国』から元の『朝鮮』に変更されました。
続いて大日本帝国が朝鮮を統治するための朝鮮総督府が設置されると、寺内正毅は初代朝鮮総督に就任します。
すぐに憲兵を増強し治安維持を図りますが、翌年 読売新聞の『朝鮮物色録 ビリッケン政治』という記事で『傍若無人横暴』と批判されました。
一方で身分制度の廃止、土地計測による所有権の境界線の明確化、病院の建設、何よりも最優先で教育の普及と学校建設など近代化を進めます。
更に朝鮮の小文化財の保護調査をし、森林保護の為の植樹、河川調査の上で治水事業計画を立てるなど奔走していたそうです。
この武力による統治は『武断政治』と呼ばれ、1919年の三・一独立運動まで続きました。
賛否両論ある寺内正毅ですが間違いなく明治・大正時代を作り上げた一人です。
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