林子平は鎖国による平和にあぐらをかいていた江戸時代の日本において、海上での自国防衛の必要性に誰よりも早く気付き、国防地理書『三国通覧図』を出版します。
時代の先を行き過ぎていたため、罪人とされ失意の中亡くなりましたが、ペリーの黒船の来航により林子平の危惧は現実となりました。
『三国通覧図』には附図として今回お買取りした『三国通覧輿地路程全図』『無人島之図』の他、『朝鮮国全図』『琉球国全図』『蝦夷国全図』の全5枚の地図があります。
非常に古い江戸時代の版画であることから、本と附図全て揃ったセットは稀です。
貴重な出版物ですので、地図1枚でもお買取りしております。
いわの美術でお買取りした琉球国全図
林子平は仙台藩士である兄の部屋住みの身分でした。
兄が亡くなった場合に後を継ぐ者、結局は居候のような存在です。
逆に自由な身でもあった為、蝦夷地(北海道)や九州など全国行脚して知識人と交流し、見聞を広めました。
その中でも特に海外事情に感心を示し、海防の重要性に気付いたことから『三国通覧図』(1785年)を発行します。
更に『海国兵談』という海軍の必要性を論じた軍事書の発行を試みますが、当時の日本は幕政に口出しすることは禁じられており、協力してくれる版元が見つからず、林子平自ら16冊分の木版を彫り自費出版しました。(1791年)
その中の象徴的な文章『およそ日本橋よりして欧羅巴に至る、その間一水路のみ』は日本の道路網の中心である日本橋とヨーロッパが、たった1つの水路で繋がっている、と警鐘を鳴らしており、現代でも大学入試に登場するなど有名です。
幕府は翌1792年、『三国通覧図』『海国兵談』の発禁と版木没収、林子平には兄の元での蟄居(謹慎)を命じました。
皮肉にもその翌々月にロシアのアダム・ラクスマンが通商を求めて根室に来航しています。
11ヶ月の蟄居の後、林子平は罪人のまま亡くなりました。
当時の幕府は林子平の書籍を無視していましたが、1853年にペリーの黒船が来航したことから注目され、以後の日本に大きな影響を与えるほど重要となっています。
いわの美術でお買取りした朝鮮国全図
三国通覧図は長崎からオランダを経てヨーロッパやロシアにも広がり、各言語に翻訳されました。
ペリーは欧州翻訳版を入手し熟読しており、アメリカ本国に送った書簡の中にも転載しています。
セットになっている附図は以下の5枚です。
三国通覧輿地路程全図 | 日本を中心にロシア、朝鮮半島、中国沿岸部、台湾を含めた大まかな地図 |
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蝦夷国全図 | 日本に隣接する蝦夷国(北海道)の地図 |
朝鮮国全図 | 日本に隣接する朝鮮国(朝鮮半島)の地図 |
琉球国全図 | 日本に隣接する琉球国(沖縄)の地図 |
無人島之図 | 小笠原諸島の地図 翻訳版はペリーがアメリカ本国に送った書簡の中に転載 |
全て東が上に描かれた大まかな地図で、歪みが強く北海道が本州に並ぶ大きさ・長さで描かれています。
正確な地図は当時すでに存在しており、精度よりも近隣国との位置関係や航路を知ることを目的としていました。
この地図は尖閣諸島や竹島の領土問題において、日本の領土ではない証拠として度々取り上げられます。
国ごとに色分けをしているのですが適当な部分も多く、専門家の意見が分かれる所です。
いわの美術では林子平の出版物や作品をお買取り強化中です。
版画での出版の他、版木を没収された後は林子平自身が写本し、さらに別の人が写本した書籍などが存在します。
一部レプリカなどはお買取り対象外となりますので、プロの判断がお勧めです。
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